ずっとNISA手続きの備忘録ばかり書いていましたが、本当に書きたかったのは同僚、友人について。
まず私の性格ですが、他人と仲良くなることを極度に警戒します。理由は仲良くなればその反動で必ず悪化するからです。
だから、他人とは関係を悪化させない、すなわち仲良くならず、挨拶するぐらいだけの関係にとどめるようになっています。
別の言い方をすれば、どうしても他人と距離感を持ってしまい、仲良くなりたくないのです。
小さい時には両親から誰とでも仲良く、誰にでも声をかけるよう教育されており、それを実践してきて、何ら疑いませんでした。
しかし高校に進学したぐらいから、人間関係のために生きているような気がして、勉強も手に尽きませんでした。
社会人になれば、行きたくない飲み会にも参加せざるを得ず、受験勉強を経て社会人とはこんな程度の低いことをしなければなのかと落胆の日々でした。
どうすれば人間関係の煩悩から離れられるか、高校時代の友人と30歳前後の時に毎晩飲み明かしました。
その友人はとても博学で自己が確立した人間で、私の精神的独立を助けてくれた大の恩人です。
一方で必ず会話の途中にマウンティングをしてきます。
私にはそれが段々許せなくなり、友人にそれを改善するように打ち明けました。
それ以後は関係がぎくしゃくしてしまい、友人のほうから私と連絡をするのを遮断してしまいました。
今でもその友人には大変感謝しています。
またマウンティングするのは、人間の動物的な本能なのかもしれないとも思います。
しかし友人間にマウンティングをして上下関係を持ち込む必要は無いというのが私の考えです。
いずれにせよ、精神的独立をなす中で私は無駄な人間関係を断る勇気を身に付け、時間と資金を確保して、今準富裕層・富裕層になるという明確な目標を持てるようになりました。
葛藤が無くなったわけではなく、精神科にも頼っていますが、アルコールや惰性でお付き合いをするよりは何万倍もマシです。
今は管理職になり、何人か部下を持つまでになりました。
でも私は上司が絶対的に偉いみたいな雰囲気をどうしても醸し出せないのです。
制度上、上司が偉い位置にあることが明記されているのであれば、部下とは人間的に平等な立場でいいと思うのです。
組織の統制上、上司・部下の関係はあるかもしれませんが、人間的には平等が保証されていないと、部下は人間的に腐ってしまうと思うのです、私の経験から。
また組織という集団は、家族とはまた違うもの。
このあたりを明確にできる人とだとお話が盛り上がります。
会社では男性より女性のほうが話しやすくなりました。
男女という明確な違いがあるため、お互いが言葉や話す内容を選びながら話をすることで、適度な距離感が保てるからだと考えています。
一方で男性とは、特に職場で上下関係、距離感でバランスを取るのが難しいです。
それに女性と同様に男性も結局は社内の人間関係、噂話、悪口が多いです。
それに付き合い、会社の人間関係に引きずられて生きていくのは、私には無駄が多すぎると感じています。
欧米では定時後はすぐさま帰宅、同僚との飲み会はほぼ無いと言います。
なんで日本人はこうも群れたがるのか、私には理解できません。
ただし、私がいま集団と距離を置いてふるまえるようになったのは、昔マウンティングをしても人間の独立について教えてくれた友人の影響が大きいのも事実です。
今私には家族と両親がいて、それを守ることだ最優先事項です。
そのために仕事があるのであり、職場の人間関係のためにお付き合いをするというのは本末転倒だと感じています。
ただのお酒好きに「お付き合い」の名のもとで強制的に付き合わされている気がしてなりません。
最近若者を飲みに誘うと
「なぜビールを飲むのですか?」と、なぜアルコールという毒をわざわざ飲みながら話をする必要があるのかという質問が出たと新聞で読みました。
本当にお酒って必要なものでしょうか。なぜ翌日に疲れを残してまで飲む必要があるのでしょうか。
お酒を辞めると、交流の場は減りますが、お金と時間は確実に貯まります。
合理性だけがすべてではないですが、アルコールを交えての職場のお付き合いは早く社会全体として見直してほしいです。
でもそんなことをしたら飲食業界が回転しなくなってしまうから、政治経済社会が何となく仕方何しやっているような気がしてならないのです。
以上のようなことをずっと考えながら仕事をしています。
それと、こんな私を勇気づけてくれる妻には感謝しかないです。
