ミュンヘン音大の過去。 〜シンドラーのリストを見て | ドイツ暮らしの情報

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ドイツで音楽の仕事などしてる大阪人です。

生活や音楽や、
海外に興味のある方に向けての情報、またはただの呟きに付き合って下さる方との繋がりを求めて、こちらでの暮らしの様子を綴ります。

皆様こんにちは音譜音譜


いつも読んで頂いて 
どうも有難うございますラブラブ





気温6度のさむ~いミュンヘンより
お届けいたします流れ星(^_^)



今日はちょっと真面目にゆきます。



先日、こんな映画を見ましたビックリマーク








シンドラーのリスト。

ご存知の方も多いのではないでしょうかチューリップオレンジ



兼ねてから気になっていて、
いつか見なきゃと思っていた映画。
 
内容も覚悟がいるの分かってたので
なかなか見れずに今まできました。



きっかけとなったのは、
最近、音大の横に
SN資料館がオープンしたこと。



ナチス「過去の館」オープン


この方の記事がとても分かりやすかったので、載せておきますね音譜






ドイツがナチ党支配下の独裁政治として、
身の毛もよだつ虐殺を行った時代。。


そのナチ党発祥の地が
悲しくもここミュンヘンであり、

ミュンヘン協定が成立した場所が
現在のミュンヘン音大というわけです。





音大は今もほぼ当時のままの様相で、
(もちろん鷲のマーク等は戦後外されてます。)
ヒトラーの執務室に使われた部屋は
練習室になってます。

(私はなんにも感じない人なのですが、
やっぱり霊感のある友人などは
雰囲気の悪さに
頭痛やら吐き気がするらしいです…)



さらに音大の前のKönigsplatzは
その時代、軍事パレードや演説の場で、

ナチ党の思想に反する大量の書物が燃やされた場所でもあるそう。。




現在この広場は

芝生が植えられ、
野うさぎもたくさん住んでいる
皆の憩いの場なので、

この広場に
そんな過去があるなんて、 
想像もつかないのですがDASH!











話を戻しますが、この資料館へ行く前に
映画を見ておこうかなと思い立ちましたひらめき電球




この映画、
時代は第二次世界大戦前に始まり、

舞台はポーランドのクラクフです。
 




ドイツ人経営者でNS党のシンドラーさんが
まもなく始まる戦争を見越して
金儲けを目論み、


ゲットーに追いやられたユダヤ人を
そこから出られることを代償に
労働力として工場経営を開始します。


工場経営は軌道に乗っていた一方で
ドイツの徹底的なホロコース卜政策は
過激化、
ついに工場で働く労働者の命も
彼らから逃げられない状況になってしまいます。


その時シンドラーは、どう動いたか。


 


実際にこの方は実在していて、
最後には出演者やまだ存命されていて
当時シンドラーに命を救われた方たちが

彼のお墓を参拝している映像が見られます。




たったの65年ほど前に 
こんな無慈悲な大量虐殺が
起こってしまったのは事実。
 

本当に信じがたいですが、

当時ナチ党がどれほど強力な
エネルギーでドイツ人の思想を動かしていき、
どれだけ多くの尊い命がその犠牲となり、

その中で善良な心を保ち従うことは
どれほど危険であったか。


3時間強の映画でしたが、
恐ろしさに目を背けながらも
集中力が途切れることなく
見ることができました。

そしてこの映画を見終わってから
毎日考えを巡らせ、 
悶々としておりました。




ドイツ語だったので、
その時代のまんま目の当たりに
しているようで、辛すぎでした。  

はぁ。。




私、いつもゆる~い感じで
このブログを方向づけている
つもりなのですが、
 

今日は重~い内容で
ごめんなさい❢ショック!





破壊し合う時代はいつ
完全に終わるんだろうな。


こんなことが二度と起きないように、と
映画を見たら誰でも祈ると思うな。


今のドイツは外国人に対して
とても広く門を開けているので、
色んな国の外国人がたくさん。
そのお陰様で私も、
ここで生活し、勉強させてもらえて

感謝しかないです。


ただ、忘れそうになるの

こんな嬉しい時代がきてくれたのは、

たくさんの過去があったからなんだってこと。



これからもここで
生活できてることに感謝して、

知るべきことは勉強していきたいな、
と改めて思ったのでした虹
 





  
今日も皆様に、
素敵な一日を祈ってますラブラブ(^_-)