前回の 「私とピアノ②」 の続き。

 

吹奏楽部でフルートを始めた中1の4月25日に尾崎豊さんが亡くなり、亡くなって初めて尾崎豊さんの存在を知りました。

 

最初は話題になってるから聴いてみよう。

な気持ちでCDを買ってました。

中身がガキで上っ面しか見ない私なので人気曲のI LOVE YOU、15の夜、卒業をメインに聴いてました。

 

その歌詞が、当時の私に突き刺さってお風呂に入ると湯舟で歌ったり歌詞を覚えてノートに書いたりしてました。

 

そんな私を見て父は、

 

「あんまり影響されるんじゃねぇよ?」

 

と言ってました。

 

母は、あまり私を深く見ようとはしていなかったかな。

今思えば、父との夫婦関係が大変な時期だったかも知れない。

 

フルート、頑張って練習してました。

まず音を出すまでが難しくて、唇は渇くようになってその頃から今に至るまで常にリップクリームが必需品。

 

1週間くらい練習して、やっとまともな音が出るようになってそこから指での音階覚えて行きました。

今井美樹さんのピースオブマイウィッシュ、岡村孝子さんの夢をあきらめないで。

練習して演奏して・・・

 

もう、一学期か何学期かも忘れましたが部活に行くのが嫌になってきて。

何のキッカケかは分からないけど、フルートパートは1年生が私入れて4人だったかな、いましたがその内の二人と上手く行かなくなりました。

 

なんか避けられてるような、態度がおかしい。

私も部活を休んだり、他にも何かあったのかも知れない。

その二人以外とは部活内で仲良くしてたんだけど、今思えば仲良くしてる人がほとんどなんだから二人のことは気にしなければ良かったのに。

 

私は耐えられなくなって、遂に2~3週間部活に行かなくなりました。

でも、そうなるとあの二人の内の一人は手紙をくれるんです。

 

「オリビアちゃん、みんな待ってるから部活に来て。一緒に練習しよう。」

 

って。

 

いざ私が部活に行くと、やっぱり手紙くれた子も残りの一人もよそよそしい。

 

それから、私は部活に行くのを辞めました。

でも、フルートを買ってくれた親の手前部活を辞めるということも部活に行っていないということを知られるのも罪悪感を感じて。

 

 

当時、自宅から中学校までバス通学でした。

中学から離れてる学区地域は、みんなバス通学で定期で通学してました。

田舎だからバスの本数も1時間に2~3本で、バス停は6個くらいの距離。

授業が終わってすぐに帰れば部活に行っていないことが親にバレてしまう。

友達とトラブルになってることもバレてしまう。

親の期待に応えなきゃ、弱い自分は見せたくない、そんな気持ちでした。

 

だから、授業が終わってバス停までゆーっくり歩いてバス停に着いてバスが来ても離れてわざと見送って1時間以上バス停の近くにいたり。

バスを使わないで歩いて帰れば、その分時間が稼げるって45分かけて歩いて帰ったり。

そんなことに涙ぐましい努力をして。

 

努力するところが違う・・・

 

きっと親は気付いてるよね(;´Д`)

 

そんな感じでズルズル休んでました。

 

 

でも、そんなに休んでるから吹奏楽部の部長さんが心配して手紙をくれました。

その前に、以前こっそり手紙をくれた一人もよく書いてくれてたよ。

 

部長さんは、、

思い出したら涙出てきた・・・´д`;

 

「オリビアさんは、フルートパートでも一番良い音を出してるし絶対このまま続けた方が良いよ。私はとても才能があると思ってるから、一生に続けようよ!」

 

って書いてくれてました。

すごく嬉しいし、出来れば又部活に行きたかった。

でも、行けなかった。

 

 

フルートをやろうと思ったのも、親は私を音大に通わせるつもりでピアノ以外にも楽器を・・と始めたのです。

ピアノは子供の頃から言われなくても練習してたし、フルートも頑張ってたから好きなことだったとは思うけど、そこに自分のやりたいんだ!って意思は本当に弱かった。

だから、簡単に逃げてしまったんだと思う。

 

そうこうしてる内に1年が過ぎました。

その頃までが、自分という自分だった気がします。

 

そして魔の中学2年、完全に非行へ走っていくことになります。