朝晩はだいぶ寒いと感じるようになりました。
9月・・・
10代の頃から秋の肌寒さを感じると何故か切なさでいっぱいになりますが、
多分それは人肌が恋しかっただけかも。
でも、40年目の秋になりました。
9月はお別れが多い月になりました。
9月1日は親戚の男の子が亡くなり、
9月18日は私の父が亡くなり、
9月26日は愛犬が亡くなった。
男の子も父も愛犬も、突然の死でした。
男の子は11歳、父は48歳、愛犬は1歳2ヶ月。
みんな突然でした。
ある日突然・・・
いなくなってしまう。
朝顔を見たのに夜は生きてないとか、命はいつ終わるか分からないんだよ、って、
嫌ほど味わったのに、全く周りの命を大切に出来ていない自分。
でも、日々お別れを意識して過ごすことは、、、出来ない。
でも意識しなくてはいけないのか?
意識をする、ではなくて人を命あるものを大切に、時間も永遠ではないよ、
ということを頭 いや・・魂に刻み込んで生きると言うことなんだろうね。
今年の父の命日は、久しぶりに泣きました。
父からの最後のメールに、こう書かれてました。
「実の親に捨てられ女房にも捨てられ、俺の人生一体なんだったんだろう」
このメールを受信した時でさえ私は薬キメキメ状態で、
だから余計心にズーーーンっときた。
父は実の母に育てられていません。
私の祖母にあたる父の実の母、見たこともなく話もあまり聞いたことがありませんでした。
写真すら見たことがない。
父の実の母は、父の兄と父の弟と父を含めて3人の息子がいたのですが、
(この話すら父からは聞いたことがなく私の母から聞きました)
「この子達は私の子供ではありません。」
と言って家を出ていってそれっきり。。。だそうです。
後にその父の母、私にとって祖母は40代でひっそり亡くなったらしいです。
(次は私の番?と思わずにはいられない、父も40代で死因不詳の死です。)
でも、実母がどこかへ行ってしまって間もなく継母がきてみんなを育ててくれたそうです。
そして女房にも捨てられ・・・は私の母のこと。
父が起こした問題は私は現象だと思ってます。
多分、自分の旦那だったら本当に嫌な旦那だった、って思うだろうから、
きっと私の中で父を美化してるんだと思います。
死人に口なし、ではないですが今でも父を悪く言う人がいます。
それが私はいやで嫌でたまらないんです。
その度に私は言うのですが、
「パパは あぁいう風にしか生きれなかったんだ」
私の中ではこれに尽きます。
今年の命日に思ったのは、
「パパの人生は十分すごかったよ。娘を3人も遺したんだよ。更にかなりの遺産も。
今3人の娘がしっかり成人して生きてるのはパパがいたから。
本当にダメなパパだったら今3人は普通に生きてないよ。
それと、私はダメダメな姉だけど妹2人はあんなにしっかりして凄く優しいんだよ。
パパの血が流れてるんだよ。
パパがいなかったら私も妹二人もいない。
私は子孫をのこせないけど、妹は3人の子供を産んだよ。
パパの孫だよ。長男次男長女。
またここからパパの子孫がのこっていくんだよ。
きっとパパの血は途切れない。
だから、ありがとう。本当にありがとう。」
私も歳をとったせいか、本当にこんな風に思って涙が出てきました。
歳をとった関連でもう1つ、今年の私の40歳の誕生日に初めて母にありがとう、と感謝の気持ちがわいてきた。
今までは、自分はなんで産まれてきたんだろう、産んでくれなくて良かったのに。とか、
母との確執もあったので、なにかにつけて・・・死にたい なんで産んだんだ・・・
と思ってたけど、
40回目の誕生日の私が産まれた時間、
「そうかぁ、40年前の今日この時に母は私を産んでくれたんだな。
ありがとう。」
そう思えて又なみだナミダ・・・
いやぁ、歳とると涙腺が弱くなると言うけど、
それは色んなことを経験して、自分の受け取り方、心の感受性が高く強まって感謝することができて涙するんだ、って私なりに思ったんですよ!!笑
私には 「今」がある。
まだある。
神様が過去のことを良しとして「今」を与えてくれてる。
だから今があって、明日も今で、
今が許されるなら今を生きることで未来へ繋がる。
心身も時間も止まってはいない。
1秒だって待ってはない。
どんな時でも進む。
だから、私も止まる訳にはいかない。
そう思った9月です。