あれは私が22~23歳くらいだったかな。
もう既に大学病院の精神科には通っていました。
その時の診断は、境界性人格障害・摂食障害でした。
1度この病院にも入院していました。
でも、大学病院の主治医はハッキリとこう言いました。
「ここは、精神科だけど依存症を根本的に治療することは出来ないんです。」
この頃、まだ母も私に付きっきりな感じですごく近くにいたので(物理的には家は違うので遠いですけどね)、どんどん薬物の量や頻度が増える私をどう扱ってどこに相談すれば良いのだろう。
と考えて、元旦那と母で大学病院の先生に相談したみたいです。
そして、幸いにも県内に依存症専門の病院があると聞いて紹介状を書いてもらって初診で行ってみました。
きっと分かる人は分かるS病院、夜回り先生の講演でもこのS病院の話が出てきます。
県内には、アルコール外来や依存を見る病院は他にもありましたが、薬物となると本当にないんです。
初めてS病院に行ったときのことは、私にしては珍しく記憶がぼやけていて、誰と行ったのかハッキリ思い出せません。
が、
多分、元旦那はいたと思います。
そこで診察しましたが、その内容も覚えてません;;
勿論、薬物で頭がおかしくなってたのもあるし、それだけ薬物をやってたということは、精神面もガタガタだったので記憶に残ってないのかも知れないです。
でも、診断されました。
「覚せい剤・ブタンガス・アルコール依存症」
「物質乱用による火傷」
「人格障害」
もう依存症については、本当にそうだったけど何かハッキリ診断されて逆に安心したというか・・・。
それで数日以内にそのS病院への入院が決まりました。
一応、任意入院と言うことでした。
その病院の方針と言うのが、本人の依存症を治したいと言う気持ちがなければ入院はさせないと言うことで・・・
例えば、普通の精神科病棟への入院だと親の意思意向で本人が入院したくないといくら拒んでも医療保護入院で無理やり病院に入れることができる。
でも、このS病院は家族の意思意向での医療保護入院は受け入れない方針でした。
(後にココへ2度目の入院が決まるが、入院の準備をして病院に着いて入院の書類の手続きをしてるときに、私は走って逃げました。ヒールのサンダルを履いてたので、サンダルを脱ぎ捨てて裸足で全力疾走で逃げました。病院は入院を拒否しました。本人が入院して治療すると決めなければ無理です。と)
数日後・・・
入院する為に病院へ向かいました。
この時は覚えてます。
今は亡き祖母(私の育ての親で今人間らしくいられるのは祖母のおかげだと思ってます)と、元旦那に付き添ってもらって入院の手続きをして荷物チェックされて・・・
この病院の荷物チェックは本当に厳しいです。
院内飲酒や院内薬物使用を徹底して防止する為にペットボトルのジュースなんかもキャップを開けて匂いでチェック、ポーチの中の化粧品も一つ一つ細かくチェック。
お財布も生理用品も全て見られます。女性の看護師さんですけどね。
私は一つ没収されたものがあります。
それは、パッチフラワーレメディーの液体で不安なときに舌に一滴二滴垂らすと落ち着く効果があるものです。
私、自分でもクスリをやめたいって思ってたんです。
なので気休めかも知れませんが、調べて買ったんです。
でも、そのパッチフラワーレメディーには少量のアルコールが入ってます。
なので、没収されました。
それで看護師さんから色々説明をされました。
最初の三日間は保護室(隔離室)で過ごすこと。
三日後に本人が落ち着いていれば一般病棟に移ること。
一般病棟に移ったら運動や薬物・アルコールに関する勉強会があること。
週に何度かは自助グループのメンバーが来てミーティングに参加すること。
こんなところしか覚えてませんが、なんだか普通の精神科への入院とは違ったんです。
とうとう私も保護室に入るときがきました。
看護師に案内されて保護室に行って自分が着ていた洋服は脱いで病院服(作務衣風でした)に着替えて・・・
アクセサリー類は全部外して預けて、更にコンタクトも取って・・・
私、視力がすごく悪くて裸眼でも0.1ないんです。0.03とかで。
なのでコンタクトを取るとボヤーっとして、ほとんど見えないのです。
「メガネをかけたい。」
と言ってもメガネの許可はおりませんでした。
でも、一日3回の食事の時はかけてもよい、と言うことになりました。
そんな事を看護師と話して看護師が出ていって、
祖母と元旦那が帰る様子が聞こえたので、私は鉄格子の隙間から顔を出して思わず
「おばあちゃん!」
って声掛けたら祖母は気づいて振り向いてくれました。
その時の祖母の顔が本当に悲しそうでなんともいえない顔でした。
祖母にとって私は初孫で、本当に可愛がってくれて中学に上がるまで私は祖母と一緒に寝ていました。
ずっと赤ちゃんの時から、祖母と寝てました。
その孫が、鉄格子の中に入ってる。
隙間から顔を出してる。
ここまで落ちてしまった孫。
切ないのと悲しいのと心配なのと・・・
色々な感情があったでしょう。
後から聞いた話では、私が保護室に入ってから看護師さんから言われたそうなんです。
「帰るときオリビア(私)さんを見ないで下さいね。」
って。
やっぱり、こう私みたいな姿にショックを受ける患者の家族が多いみたいです。
祖母自身も、
「あの時のオリビア(私)を見て、なんとも言えない気持ちになっちゃって・・・
看護師さんは見ないでって言ったんだけど・・・」
って。
本当に大好きなおばあちゃんを悲しませました。
そこから3日間・・・
その保護室には、何にもありません。
テレビ、本、な~んにもない。
小さい窓には柵があって、和式のトイレがはじっこにある。
広さは確か3畳くらいですかね。
ただ布団が敷いてあるだけ。
だから、よく寝れるんです。
寝るしかないから寝れてしまう。
それと薬物をやってたので、睡眠と言う睡眠は取れてない状態だったので、本当によく寝れた。
ここまで寝ると、さすがに頭もリセットしますね。
布団に寝ながらボーっとすぐそこの壁を見ると、色々な落書きが書かれてました。
自分は、ペンもなにもないのに、どうやって書いたんだろう?って不思議だったけど。
彼氏彼女へ向けたメッセージや、歌手の歌詞(尾崎豊が多かったな)、そしてこの保護室に入った人へのメッセージもありました。
「ここで負けないで。あなたは一人じゃないよ!」
って。
1日ひたすら寝てるんですが、タバコは吸えるんですよ。
でも、時間と本数が決められていて1日7本でした。
3~4時間おきに看護師さんが、私のタバコとライターと灰皿を持ってきてくれて、それで吸ってました。
吸い終るまで看護師さんが近くで待ってました。
私がそんな何もない保護室でも、すっごく嬉しいことがありました。
ひたすら寝て2日目を迎えた朝、昨日とは違う看護師が来て、
看護師 「なにかコーヒーとか飲む?お金を渡してくれれば自動販売機で買ってくるよ。」
って。
そういえば1日目は水かお茶しかダメだった。
私は迷わず 「コーヒーお願いします。」
と言ってミルクと砂糖が入ってるの買ってきてもらいました。
そのコーヒーが美味しくて美味しくて。
普通のダイドーの缶コーヒーがこんなに美味しく感じたのは、後にも先にもこの時だけでした。
またひたすら寝た2日目の夕方、看護師が用紙と鉛筆を持ってきました。
その用紙には、自分がどれだけ依存してたか、反省文みたいな感じですね。
記入しなくてはいけません。
その時書いたこと。
「みんなに迷惑をかけた、もう絶対に薬物には手を出さない。」
この言葉に嘘偽りはないんです。
この時は、本当にそう思ってるんです。
でも、結果繰り返してしまうのが依存症患者なのでしょう。
話はずれますが、私は依存症と言う病気だけのせいにはしたくありません。
本人の意思でどうにも出来ないのが依存症なのですが、私の中で依存症と言う病気に甘えてた部分があります。
「これは病気だから!」
「自分でやめれないのが依存症でしょ!」
って、開き直ってたところがありました。
でも、入院しても治療してもなにをしても止めるのは自分です。
誰かが治してくれるわけでもない。
誰かが守ってくれるわけでもない。
なんだかんだ言っても 「自分」 なんですよね。
話戻って・・・
3日目の朝、私は今日ここを出れるのだろうか・・・と寝ないで考えてたら、朝の10時に看護師がきました。
看護師 「もう大丈夫?落ち着いたかな?」
私 「はい、大丈夫です。」
と言って、やっと保護室から出れました。
まず、洗面所で顔を洗いました。
そしてコンタクトを入れて、広くて明るい一般病棟へいけました。
しかし、すぐに 保護室にいた方が良かった。。。
と思いました。
男と女は完全に建物で分けられてます。
だから、女だけの病棟。
みんな依存・・・
何もトラブルがない方がおかしいですね。
今まで8回の入院をしましたが、1番辛い入院になりました。
・・・つづく