このブログに、以前も何度か書きましたが、ストーカーの話です。
情けない話ですが、ストーカーをしてたのは父です。
父の異常な言動は、アルコール依存によるものが大きいですが、そもそも何でアルコール依存になったのか。
現実世界を素面で過ごせないのは、私が良く分かります。
でも、それには理由があるじゃないですか。
父の生い立ちは、あまり詳しく聞いてないのですが、知ってる範囲で振り返ってみると・・・
父の産みの母は、父と兄と弟が、まだ幼いときに突然出て行ってしまったようです。
しかも、
「この子達は、私の子供ではありません。」
と言って、出て行って、それっきりだそうです。
父の父も、アルコール依存で病院に入院してましたし、酒乱も酷かったみたいです。
産みの母親が出て行って、すぐ継母が来たそうです。
私は、父の実の母には会ったことがないし、顔も見たことがないです。
でも、継母の祖母には、何度か会っています。
それで、継母には自分の息子がいました。
そして、祖父と継母の間に、娘も一人出来ました。
祖母は、私の父が1番 妹の面倒を見てくれた、と言ってました。
しかし、祖父の今で言うDVやモラハラが酷かったそうです。
祖父は、毎日お酒を飲みますが、毎日刺身を買って食べてたそうです。
でも、父たちは食べることにも困るような極貧生活をしてたそうです。
お風呂も、入らせてもらえなかったそうです。
多分、私なんか、まだまだ甘くて壮絶な環境で育ったと思われます。
私が5歳くらいのとき、大事件が起こりました。
正月だかいつだか、皆で父の実家に集まって皆お酒を飲んでたら、祖父と父が殴り合いの喧嘩になりました。
私も、断片的にしか記憶にないのですが、それはもう凄い騒ぎで怒号が飛び交い・・・
この事件があってから、10年間、祖父と父は絶縁しました。
祖父は、あばらが折れるくらいだったそうです。
母も、お中元なんかを送っても、送り返されていました。
まぁ、ざっとこんな感じなんですね。
それで、本題のストーカーのことですが、
私が19歳のときに、母から父と離婚をすることを聞きました。
その第一理由は、父が職場の女性に2年間、ストーキング行為をしてたんだそうです。
その被害女性から、母に電話が来て分かったそうです。
その女性は、毎日自宅の前で待ち伏せされるなどの被害を訴えており、父の家庭があるのも知っていたので、耐えてきましたが、
もう怖くて、これ以上は耐えられません、と。
警察に相談しようと思ってます、と。
母は、その日の夜に父に確認すると、YESともNOとも言わず・・・で、母自身も、確かに2年前から帰ってくるのが遅くなった、と言ってました。
それで、母は、
子供を犯罪者の子供にしたくない、と離婚を決意したそうです。
ストーカーには、4つのタイプがあるそうです。
一つは、拒絶型。
元恋人や元妻に拒絶されたことで、ストーキングするタイプ。
相手への執着心や、自尊心を傷つけられたことなどが理由だそうです。
二つ目は、憎悪型。
あまり親しくない人や、ほとんど知らない人に対して、恐怖や混乱を与えることが目的だそうです。
日常のストレスをぶつけるそうです。
三つ目は、親密希求形。
相手と相思相愛になることを目的とするそうです。
一方的に、自分の好意を押し付けて、相手を過度に理想に相手にするそうです。
四つ目は、無資格型。
人格障害など、精神に疾患が原因になり、自分の欲求を押し付けて罪悪感もないタイプだそうです。
父は、どれだろう・・・と考えました。
1、2、3には当てはまらないので、4かな?と推測しますが、しかし、次のストーキング対象は1になります。
父と母の離婚は、もつれにもつれて裁判離婚になりました。
2年くらいかかったと思います。
そうなると、今度の父のストーキング対象は、母になります。
この場合、パターンとしては1の拒絶型になります。
(素朴な疑問ですが、ストーカーの心理パターンが変わるってあるんですかね?^^;変わるとしたら、随分器用にコントロールできるのかな?と思います。^^;)
母へのストーキング行為の始まりと終わりまで、私は母と一緒に実家に住んでいたので、経験をしてしまいました。
最初は、電話から始まりました。
母の携帯へ何回も着信があり、着信拒否をすると非通知や公衆電話からの着信になります。
1日に30件以上はあったと思います。
携帯に出ないとなると、今度は家電になります。
父も、この実家で長年暮らしてたので、番号は簡単に分かりますよね。
そして、電話攻撃は毎日続くのですが、ある日、嫁いだ私の妹が遊びきてまして、妹が電話に出たんですよ。
「パパのやってることはストーカーだよ!」
って、叱ったんですよ。
そうしたら、父は・・・
「ストーカーって言葉は、俺が作ったんだけどな。」
と言ったそうです。
もう、妄想が入って大分来てしまってますね・・・。
被害妄想と言うより、誇大妄想なのでしょうか・・・。
まともな話し合いも出来ない状況です。
電話の次は、毎日車で実家に来て、実家の前を行ったり来たりするようになりました。
父の自宅から、実家までは車でも片道30分以上はかかります。
だけど、毎日毎日来てました。
父は、当時仕事を辞めてたのですが、退職金でお金はありました。
なので、こんな行動も出来たんでしょう。
私も、外に行くのが怖くなって、外に出れなくなりました。
犬の散歩にも行けず、精神状態はおちていきました。
ある日の夜、12時過ぎに寝ようとしてたら、父の車の音がしました。
父はランクルで、エンジンの音も大きかったので、すぐ分かりました。
急いで、自分の部屋を出ると母も起きてきました。
今まで、実家の前を行ったり来たりしてるだけで、庭にまで入ってくることはなかったんです。
あの時の恐怖・・・
家の電気を付けたら怖いと思い、真っ暗の中、そーっと忍び足で祖父母の寝てる部屋に行き、祖父母を起こしました。
1番下の妹も、部屋から出てきました。
その内、玄関のインターフォンが鳴りまくりました。
父が玄関で、
「こんばんは!こんばんは!」
「ごめんください!」
って、ずっと言ってて・・・。
玄関が、引き戸のガラス玄関だったので、ガラスを割って入ろうとすれば入れちゃうんですよね。
もう、そのガラスが割れそうなくらい、ガンガン叩いてて・・・
その恐怖を感じてる相手は、私の父。
頭がおかしいと思ってる相手は、父。
なんか、悲しいですよね。
それから、庭先まで来るのが何回もあって、一度昼間に庭まで来たんです。
そして、祖父に頭を下げて、
「お願いします!復縁させてください!」
って、言ってたそうなんです。
もう、その時、父はガリガリに痩せてたそうです。
その後も、庭まで来ることがあって、今度は今は亡き祖母が出くわしたらしいのですが、祖母は、
「もう、お前もいい人を見つけろよ。」 って言ったら、父は、
「いい人はココにいる。」
って言ったそうです。
その時、もう黄胆が出てたそうです。
肌も白めも黄色かったって。
ずっとお酒を飲んでますからね。
ストーキングが始まって、数ヶ月後の冬、
母の部屋は、1階で田舎なもんだから窓を開けっぱなしの時があるんですが、夜仕事から帰ったら、母が、
「なにこれ?」
って言ってきました。
それを見ると、何か包装紙で包まれた小さい箱でした。
よく考えてみると、その日は1番下の妹の誕生日でした。
父は、1番下の妹を可愛がってたから、何かプレゼントしようと思ったのでしょうか?
次の日に、近所の人から父が何か物を母の部屋に置いていたのを見た、と聞きました。
でも、誰からかも分からないし、変にこじらせたくないので、その包装を取らずに、そのまま庭の分かりやすい木に吊るしておきました。
なんだか、この時は胸が・・・
切なくなりました・・・
それで、父の最後の会話になったのが・・・
ストーキング開始から半年後、父が庭に入ってきたので、私は思い切って父の前に行きました。
私 「パパ、どうしたの?」
って聞くと、
父 「いやぁ、お前にいつだか借りた金、ちゃんと返したかな、とも思って。」
って言いました。
続けて、父は、
「ここの実家に行け、実家に行けって、うるさいんだよ。だから来てるんだけどさ!」
って、言ってました。
幻聴だと思いますが。
これが、父との最後の会話。
警察にも相談はしてましたが、これと言った対策はなかったんです。
ストーカー規制法が厳しくなる前でした。
ストーキング開始から10ヶ月後、父のストーカーは終わりました。
9月の中旬になって、3日間くらい父が来なかったんです。
おかしいな、毎日毎日来てたのに・・・
って、不思議でしたが、そんなに深く考えることはしませんでした。
そうしたら、その数日後、父の弟から電話があり、祖母が電話を取りました。
その電話の対応をしている祖母の様子から、何か悪いことが起こったかも、と推測はしていましたが・・・
電話を切った祖母が言いました。
「パパが亡くなったらしい・・・」
って。
何と言うか、やっぱり・・・と言うか・・・
遺体が安置されてる警察署に行きました。
一度、父に叱ってくれた妹と一緒に・・・
きっと、妹もパニクってたんだと思います。
その警察署まで、何度も道に迷って・・・
警察署に着くと、もう遺体は葬儀会社に移動したというのですが、死に方があれだったからかな・・・
葬儀会社の人が、警察に移動してくれました。
でも、葬儀会社の人が言いました。
「かなり、腐敗が進んでいます。死臭もかなりあります。僕たちは、慣れていますが、少しびっくりするかと思います。」
と言われました。
妹は、見たくないと言いました。
でも、最期に見てあげよう。ちゃんと見ようよ。って言って見ました。
10年以上も前のことなのに、
見てたのは、ほんの数分なのに、
今でも鮮明に、覚えています。
予想も想像も出来ませんよね。
親の腐敗した姿。
蛆虫が顔を這ってる姿。
肌はどす黒く、目や鼻は溶けて窪んでる姿。
とにかく、早く荼毘にふしたいと思った。
でも、解剖をしないといけないみたいで、翌日解剖に出した。
解剖室と、待合室はかなり離れてるのに、死臭はずっとあった。
解剖から出てきて、解剖医の説明を受けましたが、
内臓も腐敗してしまってるので、死因は不詳、死亡日時も推定としか分からないらしい。
本当だったら、死んだ日と時間まで分かるらしい。
次の日、火葬。
火葬場に、父の母、兄、弟が来た。
家は、母と妹と妹の旦那と私。
花を買っていった。
向こうの祖母も、立派な花束を用意してくれた。
父は、裸の状態で亡くなったから父の兄が、TシャツとGパン、ベルトを棺に入れてくれた。
葬儀会社の人が、
「もう、今日はこの前より腐敗が酷いので、もうお顔も見ない方が良いです。」
と言うことで、最期顔も見れないまま、棺が移動して釜に入っていった。
その時、私は泣き崩れてしまって、母が肩を抱き寄せてくれた。
でも、骨になって安心した。
その後のことは、まったく思い出せなくて・・・
自分が、どういう精神状態だったか、何を思って生活してたのか・・・
思い出せません。
ただ、その日から生理は半年間きませんでした。
どんな親でも、やっぱり親なんですよね。
生きてるときは、憎しみしかなかったのに、死んでしまうと良い思いでが生きるんです。
親子の縁って、切れないもんですよ。
死ぬことで、罪さえ無くなってしまう。
時間が経つ毎に、思い出は美化されてしまう。
とんでもない父親だったけど、父がいたから私がいるんだ、って、悔しいけど、そう感じてしまう。
だけど、父との経験を全く活かせてない自分がいる。
関係の悪い母でも、いつか母が死んだら後悔するのだろうか。
父とのことを話しても、色んなことを乗り越えてきましたね、強いですね、今普通に生きてるのが奇跡ですね、って言われるんだけど、
別に強いんじゃなくて、目の前にこういう出来事があったから、ただそれを経験して生きてきただけなんですよね。
別に、色々なことがあっても、生きてることは出来ます。
もう、強い人とか、乗り越えたことを誇りに思ってとか、聞き飽きてしまいました。
そんなことを言われても、全然うれしくない。
強くないから、今病んでて通院服薬してるのに。
弱く生きたって、生きてることには変わりがないんです。
弱くたって、食べれるし笑えます。