おばあちゃんが亡くなって、もうすぐ2年になります。
私は、4年前に実家を出て結婚しました。
私が、実家を出て1年経とうとしてる4月に、
おばあちゃんが、入院しました(2015年)。
おばあちゃんは、ずっと肺炎を患っていました。
遡ると、10年前から咳をするようになっていました。
おばあちゃんは、飴が必需品になりました。
その頃も、一応自分で病院に通ってました。
それから5年後くらいに、私の母が大きい病院に連れて行って、レントゲン検査などをしたら、肺はもう真っ白だったそうで、症状は進んでいました。
その時に、血圧が高いことも分かって、その日から毎日数種類の薬を飲むようになりました。
おばあちゃん本人も、
「今まで、何も薬飲んでなかったのに、こんなに飲むようになっちゃった。」
と言ってました。
そして2015年、肺炎で初めての入院。
この時は、2週間の入院でした。
でも、酸素の量が足りてないので、自宅でも酸素チューブをつける生活になりました。
おばあちゃん、入院する直前まで車の運転をしていました。
80歳になっても。
でも、この入院をして酸素チューブを付けてからは、車の運転は勿論しなくなったし、気力もなくなったのか外に出ることも少なくなりました。
出かける時は、携帯用の酸素を持っていくのですが、携帯用だと少し苦しいと言ってました。
酸素を付けてるから、料理で火を使うのが怖い、と言うので叔母がIHのコンロを買ってあげてましたが、
あまり使うことはなくて、宅配のレンジでチンするだけの料理が増えました。
それまで、料理をしない日はないくらい、料理をしてました。
蕎麦だって、そば粉から作るし、酒まんじゅうや大福、ヨモギを取ってヨモギ大福にしたり、おはぎを作ったり、色々作ってました。
でも、すっかり気持ちも落ちて、体も徐々にきつくなったんだと思います。
同居してる母は、仕事を持っている、祖父は台所に立ったことがない、
私も、妹も実家を出てしまっている。
そこで現れてくれたのは、3番目の妹。
もう救世主です。
3番目の妹は、数年前に自立して一人暮らしをしていましたが、色々あったそうで仕事を辞めて実家に戻ってました。
3番目の妹は、本当によくやってくれた。
妹がいなかったら、実家は乗り越えられなかった。
約1年、3番目の妹が実家を切り盛りしてくれて2016年の3月の終わりに、おばあちゃんが再入院した。
夜、急に実家の母や妹から連絡がきて、
おばあちゃんが入院したこと、今回は病状が悪く危篤状態だと言われました。
何故、急に悪化したのかと言うと、おばあちゃんは祖父と一緒の部屋で寝ていて、母や妹の部屋と結構離れてます。
そこで、おばあちゃんは酸素チューブを付けて寝てたのですが、夜中にトイレに行こうとして、その時酸素チューブが外れてしまったそうです。
おばあちゃんは、必死に酸素チューブを探したそうですが、暗いしパニックにもなったのか、見つけることができなかったらしく、やっと祖父を起こして探してもらったそうです。
でも、祖父は視力がほとんどない状態なので祖父も見つけられない。
で、祖父は母と妹に言って、やっと酸素を見つけられたのですが、
既に、その時、おばあちゃんの意識は薄くなってたそうです。
そのまま入院になりました。
私も、すぐに病院に向かいました。
私は、自分でもわかるくらい、祖母に1番可愛がられてた孫でした。
沢山、心配もかけてしまって何も恩返しも出来てないのに。
みんな、おばあちゃんの意識がまだある内に、私と会わせられて良かった、と言ってました。
おばあちゃんは、まだ意識があった。
でも、今まで見たことないくらい、顔色が悪くて痩せてしまった。
おばあちゃんも、苦しい苦しいと言っていた。
もう、私は見ていられなくて、廊下に出たり戻ったりしてました。
でも、そんな状況の中でも、おばあちゃんは 私たちにこう言いました。
「みんな、おじーちゃんを頼むね。」 って。
何も出来ない、おじーちゃんを残していくのは、さぞかし心配だったろう。
廊下で、祖父と話してましたが、祖父は
「あんなに苦労して一生懸命やってきたのに、神も仏もない。」と言ってました。
そこで、私が昔おばあちゃんから聞いた話を祖父にしました。
「おじいちゃんはね、あんな人だけど、本当はすごく優しい人なんだよ。」
って言ってたことを伝えました。
入院から、3日目くらいに意識がなくなってしまいました。
個室に移って、みんなで入れ替わりで傍にいました。
夜は、母と叔母が交代で泊まって・・・。
そして、親戚もたくさん来ました。
おばあちゃん、今まで人を大切にしてきたから、沢山の人が会いに来てくれました。
それで、急に意識が戻りました。
(その間、痰の吸引はしてましたが、意識はなくても手で抵抗してました。)
意識が戻ったんだけど、脳の酸素と二酸化炭素の量の関係で、私のことが分からなくなって、母と叔母のことも分からなくなって・・・
でも、何だろう?
ずっと農業をしてたからかな?
おばあちゃん、野菜がいっぱい見えるって言ってました。
キャベツとか、色々あるよ。って。
それで、「今、お米がみんな飛んでちゃった。」とも言ってた。
私の旦那が、病院で働いてる、と思ってたり、私を6歳の姪と間違えてたり・・・。
そして、嫁にきて60年経ってるのに、自分が生まれた実家に帰る、と言ってた。
それで、また意識ななくなって・・・を繰り返してました。
入院から、半月経った時、朝早くに妹から電話があり、
危ない状態だから、みんな来てください、と言われ行きました。
すごいよ、平日の朝10時なのに、みんな仕事を早退したりして10人くらい、親族が集まってました。
もう、その時、意識はなくて あのモニターが・・・
血圧も、下がったと思ったら急に勢いよく下がって・・・。
先生を呼んで、最期を迎えました。
みんな泣いてました。
一番、世話をしてくれてた3番目の妹は、泣きながら 「おばあちゃーん」
って呼んでました。
祖父は、覚悟はしてたと思うけど、泣いてました。
私は、すぐに祖父を何とかしなきゃ!って思って、泣いてる祖父にティッシュを渡したり・・・
こういうことをして、自分をごまかしてたと思う。
おばあちゃん、本当に皆に見守られて穏やかにすーっと逝った。
幸せだよね。
みんな見送ってくれたよ。
なんだか、不思議な位、自分が普通で・・・。
昔は、おばあちゃんが居なくなる事が世界で1番怖いことだった。
小さい頃から、おばあちゃん子で幼稚園も登園拒否してた。
おばあちゃんと離れるのがイヤで。
仮病使って、幼稚園を休んだり、母に無理やり連れていかれて先生に抱っこされても、
先生の髪を引っ張ってでも、抵抗した。
おばあちゃんが、車で買い物に行く、と分かると、
私は裸足で、おばあちゃんの車を追いかけた。
祖父が、酔っ払って、おばあちゃんに暴言吐いて 「おまえなんか、殺すぞ」 って言う時は、おばあちゃんが殺されちゃうって、本当に怖かった。
16の時、両親と妹が引っ越すって言っても、私はおばあちゃんの所に残った。
もう、すべてが おばあちゃんだったんだけどね。
いつも、ニコニコしてて、どんな時も一生懸命家事して。
私が、病気になって実家に籠ってた時は、いろんな所に連れてってくれて、買い物して一緒にご飯食べて・・・。
いつも、おばあちゃんがご馳走してくれて・・・。
こんなに大事にしてくれたのに、私は何一つ返せなかった。
もっと、時間があれば・・・
もっと、会っていれば・・・
今、やっと落ち着いたから 色々してあげたかったのに。
ごめんなさい。
病院から、やっとみんなで家に帰ってきました。
おばあちゃんも、半月ぶりの家。
その日の内にも、続々と近所の方や親せきがお悔やみに来て下さいました。
おばあちゃんの、その顔が びっくりする位、格好いい。
今まで、見たことない顔をしてる。
颯爽としてて、やり切ったって顔だった。
あんなに一生懸命生きてきたんだもん。
そりゃぁ、肉体は疲れちゃうよね。
本当に、お疲れ様。
本当に、毎日毎日疲れたよね。
もう、ゆっくり休める。
おばあちゃんと会えないのも、話せないのも、一緒にお茶飲めないのも、
すごく寂しいけど、姿は見えないけど、絶対私の事を見ててくれてるって思うから、あんまりメソメソしてると心配しちゃうよね。
おばあちゃん、やっぱり思い出すと涙が出ちゃうけど、
ずっとずっと、おばあちゃんが大好き。
おばあちゃんが居たから、今私はココにいる。
本当にありがとう。
大きな大きな愛情をくれて、ありがとう。
何もできなくて、ごめんね。
そっちで、ゆっくり皆を見ててね。