身内の恥を晒すようですが、このブログは、
友達にも言えないことを書く為のブログなので、
遺そうと思います。
タイトル通り、私の父はストーカーでした。
最初に、その事実を知ったのは私が19歳の時でした。
私は、元々16歳から両親と暮らしてなく実家の祖父母と暮らしてました。
父・母・妹二人は一緒に暮らしてましたが、
母は度々、妹二人を連れて実家に帰ってきてました。
理由は、父が母と妹にDVをしたことでした。
でも、19歳の時、母から正式に離婚することをききました。
理由は、DV、アルコール依存、そして職場の女性へのストーカー行為でした。
その職場の女性の被害者さんから、母に電話があったそうです。
「もう2年間、ストーカーされてる。毎日アパートの前に立っている。
電話も鳴りっ放し。
結婚して奥さんがいるのも知っているので、今まで黙ってましたが、
もう自分が怖いので警察に相談をするつもりです。」
と言う内容だったそうです。
そのことを母は父にききました。
「○○さんから電話が来て、2年間ストーカーをされて困ってる、
っていってたけど、本当なの?」
父は、何も答えなかったそうです。
した、とも してない、とも言わなかったそうです。
母は思い返すと、2年前から帰りが遅くなった、と言ってました。
当時は、ストーカー規制法がまだありませんでした。
母は、色々な理由がありますがストーカー行為が離婚の決定打になったようです。
子供を犯罪者の子供にはしたくない。 と言ってました。
それから、父母が別居になり離婚を切り出しましたが、
父が応じない状況でした。
約3年間、別居の状態で調停も意味なし。
遂に裁判になりましたが、父は弁護人をつけなかったそうです。
自ら、弁護。
父の離婚する条件は、一番下の妹(当時9歳)の親権を自分にすること。
妹は絶対に手放さない、と言うことでした。
母の弁護士さんも、こじれる裁判で相手(父)は、とても難しい相手だ、
と言うことで、弁護士は手切れ金ではないですが300万渡して離婚にしたらどうか、と言う提案でした。
そして、母は考えた末300万を支払うことにしました。
そうして、父は300万を得た。
でも帰りに弁護士さんは、母にこう言ったそうです。
「今、あの人(父)は、世界中で1番惨めだと思いますよ。」
と・・・。
後から父にききましたが妹の親権の話・・・
なんで?ってきくと、
「俺に残るものが何もない。」
って気持ちだったそうです。
これが1度目のストーカー行為でした。
同じことはまた起こりました。
父は2度目のストーカーを始めました。
今度は、1度目の女性ではなく離婚した母にストーキング。
2度目のストーカーのことは今度書くことにします。