先ず、凍傷から15年後の画像です。

 

 

分かりにくいですが、小指を凍傷しました。

 

ちょっと変形したし、小指だけ爪も分厚いです。

 

確か3月の終わりだったと思います。

○○を吸っていて・・・次から次へと5本10本と。

素面に戻ったら、小指に激痛を感じ、色も変色していて、

まだフラフラしながら、近所の皮膚科に行きました。

 

皮膚科の先生の様子に 

「やばい事になったんじゃ。。。」 と感じました。

 

「直ぐに大学病院に行って下さい!

最悪、切断する事になりますよ!!」

 

と言われ・・・

 

その時は 「指の1本くらい無くなったって・・・」

って自暴自棄になって。

 

見る見る小指は腫れてきて、3倍位の大きさになりました。

色は紫になって。

皮膚科から帰って、指を失うかも知れないってのに、

また○○を吸った。

でも、自分で少し指を庇ったのかな。

手袋して吸ってました。

 

当時の旦那が帰ってきて、この事態に驚き、

 

「実家に行こう」 って。

 

夜中だったけど、実家に帰り 母に旦那が事の全てを話しました。

 

旦那 「もう、ここまでになったら 実家にも隠しておけないと思いまして」

 

と、○○がやめられず、依存症になってること、

そのせいで、指を凍傷したこと。

指を切断するかも知れないこと。

 

全て話して、私は ただ下を向いて聞いてました。

 

母が 「もう、自分の力でやめれないの?」

 

と聞かれて、私は、

 

「うん。」  

 

とだけ答えました。

 

実家の家族に今まで言わなかったし、旦那も黙ってたし、

全部を聞いた家族は、言葉少なく、みんなうつむいた。

 

凍傷した翌日、今は亡き祖母が大学病院に車で連れていってくれました。

 

そこの大学病院の先生が、

 

「毎日、血液の循環をよくする点滴を打たないといけない。

もしかしたら、切断をする事になる可能性もある。

入院が必要です。」

 

と言われ・・・

 

精神疾患で、この大学病院に通院してるのもあり、

その3日後位に、精神科に入院することになりました。

 

この一連の事と、孫のボロボロになった姿で

祖母は、とても悲しい顔をしてた。

 

赤ちゃんの頃から、祖母と一緒に寝て、お風呂に入って、

両親が出て行った後も、私だけ祖母の家に残った。

 

でも、当時の私は、そんな事を考える余裕もなく、

人の気持ちも考えられなくなっていて、

家族に謝る事すら出来なかった。

 

 

初めての精神科への入院は、当時の旦那と行った。

私は、自分も精神病だけど、精神科への入院が怖くて仕方なかった。

 

とんでもない人達がいるんじゃないか。

って怖くて、病棟での初めての夕飯には、一口も手をつけなかった。

 

毎日毎日朝から2~3時間の点滴。

病棟から、皮膚科へ通い処置を受けて、

次第に入院してる人とも仲良くなり、

時間があれば、喫煙所でみんなと笑い話してた。

 

精神科の入院患者への偏見がなくなった。

 

こんな凍傷するほどの依存だったのに、

いざ入院したら、ちっとも苦しくないし、禁断症状もない。

病棟にいると、社会から守られてる変な安心感があった。

 

10日位して、皮膚科に行くと、小指の根元からの皮膚と爪が、

分離してる。

凍傷した部分の指の皮膚~爪が、はがれました。

本当に、指を付け替える感じで、パカって取れました。

はがれた後の指は、きれいな状態で、指を切らずに済みました。

 

その剥がれた指サックのような残骸を先生は持ってなさい。って。

 

薬物で、ここまでになったのをちゃんと受け止めて。と言われ、

しばらく、取れた指を持ってました。

 

でも、そこから小指のリハビリが始まりました。

芯までやられたので、指を曲げることが出来ない。

毎日、小指の折り曲げのリハビリをしました。

外用薬のヒルロイドも毎日塗って。

 

 

で、2週間で退院できました。

 

小指は、少し曲げれるようになりましたが、

今でも、完全に曲げると痛みがあるのと、

この小指だけ、痒くなったり、

雨の日はジンジン痛んだり。

 

後遺症は残っています。

 

 

あの時、当時の旦那含め家族がわたしに協力してくれて、

みんな動いてくれた。

 

今思えば、本当にありがたいと思う。

感謝しかない。

 

 

でも、病みが酷かった私は、そんな事にも気づかず、

指を失うかも知れない状況にまでなったのに、

退院したら、また○○を吸う生活に戻った。

 

 

 

~~つづく~~