私の甥は、障害児です。
この子は、次男として産まれてきました。
 
産まれた報告を母から聞き、障害児だった事も聞きました。
翌日、電車とバスを乗り継いで、産婦人科に行きました。
普通に、おめでとうって言いたいのと、甥を見に。
 
でも、そこの産婦人科の看護師さんは、甥と面会させてくれなかった。
私は、甥と会いたい気持ち、せっかく来たんだから、って気持ちで、
直接、医師に確認したら、会えると・・・。
 
対面すると、普通の赤ちゃん。
でも、手足を見せてもらうと普通の赤ちゃんとは違いました。
甥は、四肢欠損症です。
 
産んだ妹は、病院側の判断で、妹本人には伝えていませんでした。
出産から1週間経ち、妹に現実を伝えました。
 
産婦人科を退院して、しばらく実家にいたのですが、
強くて心が広い妹が、初めて弱音を吐いた。
 
「この子を殺して、私も死ぬ。」   って。
 
周りの家族も、本当に辛かった。
母は、産まれてきた甥の姿を見て、腰を抜かした位だし、
祖父は、急激なストレスにより病気を発症した。
 
私は、この甥を  「可哀想」って思うことが 「可哀想」 だと思って、
普通の赤ちゃんとして接していたけど、現実は、やはり厳しい。
同情はいらないんですよね。
同情される自分が惨めなのは分かってるので、
特別視、もしてもらいたくない。
 
ここから、甥は人一倍 努力する生活が始まった。
赤ちゃんの時、「一生寝たきりだ。」 とも言われた。
でも、掴まり立ちが出来て、歩けるようになった。
 
装具を付けて、リハビリにも通ってた。
病院で、指の手術もした。
私が、独身だったのもあり、甥の兄も まだ幼稚園児だったので、
なるべく病院に同伴した。
 
小学校に上がる時、妹は、
 
「どうしても、普通の学校に入れたい。」
 
と、小学校の校長先生らと何度も話し合いをし、
普通の小学校に行けることになった。
担任の他、甥の身の回りの世話をする先生がつくことになった。
 
甥は、ペンも箸も 両手を使わないと使えない。
学校で、テストの時は 自分で考えたんだろうけど、
 
「プリントの端っこをテープで止めて」
 
と言ったらしい。
プリントがずれないで書けますね。
 
健常者には、計り知れない苦難、苦労があります。
 
時々、私に
 
「例え、障害者が生まれても育てていけるよ!」
 
と、悪気はなく言ってくれる人がいますが、
 
障害児を育てる、と言う事の現実を見てきました。
妹だから、出来たのであって私だったら、とても育てられなかったな、
と思います。
 
きっと、妹を選んで 甥は宿ったのでしょう。
 
亡くなった祖母が、甥に言ってたこと。
 
「お腹の中に、手手忘れてきちゃったんだよね。」
 
って。
 
何でもない言葉なんだろうけど、すごく納得できたのと、
祖母の優しさを見れた。