昔の手帳を見てたら、こんなのが挟まってました。

 

 

この診断書。

依存で、入院する時に書かれた診断書です。

 

この書面通り、私はブタンガス、覚せい剤の依存症でした。

 

この時は、ブタンガス依存が酷くて、そのブタンガスで小指を凍傷しました。

皮膚科に行って、「明日にでも、すぐに大学病院に行って下さい!

早く処置をしないと切断する事になります!」

 

と、ここまで言われても、私はゴム手袋をして吸ってましたね。

もう依存の末期です。

当時の旦那が見かねて、私の実家へ連れて行かれ、事情を全て話し、

次の日、今は亡き祖母が、大学病院へ連れて行ってくれて、

そのまま、大学病院に入院になったのですが・・・。

 

大学病院で、毎日点滴を受けて、指は失わずに済みましたが、

また、いつもの生活になると、吸って・・・に戻りました。

 

前々から、依存に対して、当時通っていた大学病院の先生から

 

「依存、専門の病院に行った方が良い」と言われてたのと、

自分も、薬物まみれの生活から抜け出したかったので、

当時に旦那に、依存専門の「せりがや病院」に連れて行ってもらった。

 

即、入院、と言われましたが、せりがや病院は、強制的に、

入院させることは、一切しません。

本人の、その依存を

「辞めたい!治療したい!」って気持ち、同意がないと、

入院は受け付けてくれません。

 

今の病院事情は、知りませんが、当時はそうでした。

 

この診断書通り、2泊3日、隔離室です。

床に、布団と便器だけがある。私は、トイレットペーパーを置くのを許されました。

本もない。何もない。

檻の中。

 

タバコは、一日7本、看護師さんが持ってきて、吸えました。

(タバコの時間は決まってます)

勿論、ご飯も出ます。

3日目、自分に少し余裕が出て来て、コーヒーが飲みたくなり、

看護師さんにお金を渡して、買ってきてもらいました。

 

その隔離室で、3日間、自分を見つめ直したり、休養・睡眠を充分に取りました。

3日目、プリントを渡されまして、依存症チェック、隔離室での感想、

薬物に対しての思い、など、書き綴って、一般病棟へ移りました。

 

当時は、薬物依存症より、アルコール依存症の方の方が多かったです。

男女別の病棟で、女性は露出が多い服も禁じられてました。

勿論、入院して2週間は、病院の外には出れません。

 

2週間以上経った人が、自助グループに通う為、外出したりした時、

帰宅時に、ナースステーションで、息の検査、荷物検査をしてました。

院外飲酒も、院内飲酒も許されない状況です。

 

私が、当時20代前半で、一緒に入院してた18歳の女の子がいました。

その子も、薬物依存症。少年院から、病院へ送られたそうです。

医療少年院にいたらしく、あの酒鬼薔薇君と一緒だったそうです。

 

その女の子と、仲良くなったのですが、その子はすぐに退院してしまいました。

女だけの病棟なので、苛め、嫌がらせ、リンチもありました。

本当に、自分も含め、薬物・アルコール依存は、人間を壊す。

人格も壊してしまう。

 

この病院について、もっと書きたかったのですが、

今、私が思い出すのが辛くなってしまったので、また今度にします・・・。

 

依存で、残るものは何もなく、失うものは全て・・・と実感した所です。