『毒親』って、よく聞くけど・・・
私が4~5歳位の時に、私が何か悪い事をしたんでしょうね。
外から鍵をかけられる、物置に閉じ込められました。
物置の中は、一切光を通さず、電気もなく、真っ暗。
当然、中からは開けれないので、「あけて!あけて!ごめんさい!」
と、叫ぶしかなかった。
その声に気づいて、鍵を開けてくれるのは、祖母。
同じ位の年の時に、また私が何か悪い事をしたのか、
母は、私を蹴り飛ばしながら、誰も使ってない部屋へ連れて行き、
そこでも、蹴りながら、
「あんたなんか、家の子じゃない!」って、言われてました。
その後、小学校1年になった時、私は車にはねられました。
道路に転がって、靴も脱げて、洋服も破れて。
でも、起きあがりました。
はねた車の運転手は、「病院に行こう」と言ってましたが、
私は、親に知られたら怒られる・・・と思って、
その運転手さんにも、「大丈夫です」と言い、
「何かあったら、ここに連絡して」と運転手さんが、メモを渡してきました。
事故現場から、自宅まで30分かかりますが、歩いてる途中、
おでこを触ると、腫れてて触るとぐにょぐにょしてる。
吐き気も出てくる。
でも、親に知られたくない、と思って、運転手が渡したメモを捨てた。
自宅に帰って、当然、親に「そのおでこ、どうしたの?」と言われたけど、
「学校の階段から落ちた」と、嘘を言って、逃れようとしました。
父が帰宅して、破れた洋服や私の怪我を見て、
「車じゃねーか?」と、気づいてたみたいだけど、私は、「違う」と言った。
今、考えると、なんで車にはねられた事をあそこまで隠したんだろう、って。
まだ、小学校1年で、そんな小さな時から、親を恐れてたのか、って。
その後、数年、テレビ番組の「救命救急センター24時」とか、「警察24時」系、
見るとドキドキしてました。
それは、「私がうつってないか」「あの事故の事がばれないか」と、
子供ながらに、不安で緊張してました。
一番下の妹が生まれたのは、私が小学校4年の時。
思えば、ここから父の虐待が増えてきた。
いつだかの夜、父と妹と私がいて、私はきりんのパジャマを着てました。
まだ、小さい妹は、熊のパジャマを着てて、
「○○ちゃん、そのパジャマ可愛いね、私はきりんだよ」
と言ったら、突然、父親に殴られました。
どうやら、きりんが、きらい、と聞こえたようです。
そこからですね、父も爆発したように、私に殴る蹴るを日常的にしてました。
でもね、それを知ってる母は、止める事もせず、何も言わず、
何もしない。
そのまま、私は中学に上がって、塾に通ってたけど、行きたくなくて、
友達の家に家出をしたり、髪の毛を染めたり、タバコすったり、
お酒飲んだり・・・絵に描いたようなグレ様でした。
親に対して、何がムカつく、とか、そんな事は考えないで、
漠然と、親に反抗してた。
塾をやめたら、今度は家庭教師をつけられた。
グレながらも、勉強をして高校に入ったけど、
高校になると、父は更に激しく暴力を振るって来ました。
ある夜は、髪の毛を掴まれ、引きづり回され、
髪の毛を束で抜かれました。
髪の毛が抜けて、はげたけど、それは直径1.5センチ位のはげになりました。
友達に、相談すると、友達は自分の両親に、私の事を話したみたいで、
その友達のお父さんは、警察官でした。
お父さんが、「暴力がちょっと異常だ、児童相談所に相談した方がいい」
と言ってたそうです。
家は、父がお婿さんで、母方の祖父母と、父母、子供はひとつの家で生活してました。
父は、母にも暴力を振るうようになって、母が殴られていると、
「近所の人を呼んできて!」って言われたので、私は、走って近所に助けを求めたけど、
その走ってる時、足が重くて前に進まない感覚につつまれて、
徒歩1分の近所までが、すごく遠く感じました。
おじさんに家に来てもらい、おじさんは父と話してました。
祖父母も、同居してるからストレスが溜まるのかな、と、
祖父母と、両親との別居を進め、父母子供は、別に暮らす事になった。
でも、私は、もう父と母と一緒にいたくないので、一人だけ、
祖父母と家に残ることに決めた。
そうしたら、父が私に涙を流しながら・・・
「今までの事は謝る、一緒に来てくれないか」と言いました。
でも、もう私の気持ちは変わらず、ある日、家に帰ると、
父母妹の姿はなく、家財道具もなく、出て行ってた。
当時は、寂しいとか思わなかったけど、今思うと、さみしい。
ガランダランの家。静かな家。広く感じる。
「本当に出ていったんだな」って、何とも言えない気持ち。
その時、私は16歳でした。
・・・つづく・・・