長渕さんの「生きるということ・死ぬということ」

は、どういう事か。
が、あります。

20代、自分で死にたい、と願い、自分の最期の想像ばかりしてました。

毎日、体が重くて、家事もろくに出来ず、
仕事も出来ず、全てにおいて自信喪失していました。

家族に見放され、彼氏も家を出て行き、
自殺未遂をして、薄れていく意識の中で、
父親に電話して、助けを求めましたが、
「知らない」と、最後の糸も切られました。

気づいたら、病院のベッドの上。
二日経ってました。
母と祖母の顔が見えました。

何か感じる前に涙が流れました。

母が、

「家に帰ろう」

と言ってくれました。


この事がきかっけになったのか、
それから、自殺未遂を繰り返し、
ICUで、治療を受ける事が続きました。

何で死にたいのか。何で生きていたくないのか。

細かく言えば、自分の存在意義がなかった事でしょうか。

自分でご飯を作らなくても作ってくれる人がいる。
働かなくても、お金に困らない。
家にも困らない。

はたから見れば、何の苦労もない暮らしですよね。


明日の予定がない。
やる事がない。(自ら動けばやる事はあります)

が、辛かったです。

生きる糧も、なかったんですよね。


あんなんに死にたかった自分がですよ、

今は、一日でも長く生きたい、って思うんですよ。


自分で家庭を持って、
自分でご飯を食べさせないといけない存在があって、

自分は、この世界に存在してていいんだ、って思えるんです。



人は、働いてるのに自分は無職だ。
人は、子供を産んで育ててるのに、自分は育む存在がない。
人は、朝起きて、生活してるけど、自分は起きれない。
人は、生きる為に、一生懸命、生活してる。

劣等感を強く感じてても、
きっと、活躍出来る場所はあると思います。

何とか、その時出来る事を見つけて、
自分に、何かを課して、やってみればいいんです。

1つ目、2つ目の場所が合っていなかったら、
違う場所を探して、自分の居場所を作る。


生きてる意味なんてないです。

ただ、今日明日の為に、生きてます。

死ねないのなら、生きる方法を手探りでも探していくしか、

生きる方法はありません。



途中で、無理に命を失くしても、
終わり、は決してありません。

逃げたら逃げた分、しっぺ返しは来るものです。



何かに逃げないで向き合って進むと・・・

何かが変わるかも知れませんよ。




まず、逃げない事・・・これも、やる事、生活で必要な事。

やる事がない、生きてても意味がない。

まず。逃げないで向き合う。


これをすればいいんじゃないですかね。



本当に死にたかったら、もう死んでるはずですよ。