
「陰の都知事と呼ばれた男」1999年春、石原知事誕生。その三歩後ろには必ず浜渦氏がいた。私は国政への転身に挑むため都議を辞職した2001年7月までの2年間、石原知事の特別秘書、副知事としての彼を知る。
当時、都庁内、都議会では「浜渦を通さないと話は進まない 浜渦が首を縦に振らなければ事は成せない」とまで云われた。それほど浜渦権勢は絶大だった。そして、側近強権政治が大手をふってまかり通り、都政が永田町的景色に変容した。そのような情況が膠着していた築地市場移転問題を動かし豊洲移転の道を走り始める。
都庁の主である石原知事はいかなる境遇や地位にあっても「憂国の士 石原慎太郎」のスタイルを貫く。恐らく地方自治体の長としての自覚は皆無であり、都政への関心や責任感も薄く常に目線は国政に向いていたように思う。さりながら「象徴知事」は4度の知事選挙での圧勝を重ね、正負それぞれの遺産を残した。
その負の遺産とされる豊洲問題に対する責任の所在が今回の「百条委員会」の肝のはずである。
築地市場の再整備論に引導を渡し、豊洲に移転する計画について、石原氏が当時副知事であった浜渦氏にその問題解決の為の裁量と事案決定権を「東京都事案決定規程」の定めに準じ委譲していたことが、確認できれば「浜渦に一任」との発言は無責任な行為とはいえず、形式上は適切なものであったということになる。それは、関係する市場長(局長)についても同様であり、豊洲への移転、東京ガス所有地購入の方針が知事から示され、下記の局長の権限により事実上、土地購入が行われたことも手続きに問題はなかったといえる。
[七 物件の買入れ等に関すること]
局長権限 ※知事権限記載なし
「予定価格が六千万円以上の物件の買入れ、売払い、借入れ、貸付け等に関する事」
(東京都事案決定規程より)
これまでの百条委員会での石原元知事をはじめとする元都庁幹部の発言を聞いていると、それぞれが、自らの職責を果たしたのだという論旨を展開している。それは、今後予定されている証人も同様。
土地取得過程における“交渉”の駆引きにおけるメモの内容や経緯を質すだけの戦術では、想定している不正や闇の尻尾さえ掴むことは難しく、石原氏曰くの【不作為】という責任論の終着になることであろう。