「がなりたてるだけの演説じゃあ いけないねえ。道行くひとの背中に語りかけ 振り向いてくれるような演説をなさい」 
 25年前 都議選に立候補したばかりの頃、私の街頭演説の応援に駆けつけて頂いた恩師 酒井広先生からのアドバイス。
 無名の新人寺山候補は、ただ、ただ大きな声を張り上げてました。学生時代に身に付けた、あしなが募金の駅頭での呼び掛け、そのままに。しかし、マイクを握る手に力を込めても反応薄く、時には罵声や飲みかけの缶コーヒーを投げつけられることも。はじめての選挙の洗礼。不安と焦燥感が日に日に募りました。通勤客が顔のないロボットに見えた、そんな時期のことでした。
 相手に届く 心の琴線を振るわすスピーチ
 それは、職場での3分間スピーチだろうと結婚式の祝辞だろうと選挙演説だろうと同じではないか。
 無関心に通り過ぎる人を一人でも振り向かせる言葉と演説力を身につけるように叱咤激励頂いたのでした。
 民の心に泥を塗る昨今の政治家の言葉、語りにさぞ憂いておられたものと思います。

 染井が散りゆき八重桜が春空に映える今月20日の早朝、酒井先生は91年間の今生を全うされ旅立たれました。
 交通遺児の大学生寮「心塾」(東京都日野市)で、話し方、スピーチを月イチで4年間ご教授して頂いて以来、選挙の応援、結婚式での司会をお引き受け頂くなど、公私にわたりご指導お世話になりました。 
 テレビアナウンサー、ワイドショー司会者として、一時代を築き上げ、多くの後進を育てる指導者としての才も発揮されました。
 また、ご自身の戦争体験を原点に、あしなが運動、カンボジア学校建設など、平和、貧困、恵まれない子どもたちへの支援をライフワークとされました。
 1999年11月27日付 当時73歳の先生から頂いたお手紙には、21世紀の幕開けにカンボジア支援への夢と決意表明が綴られています。仰げば尊し。

 酒井先生のご冥福をお祈り致します。ありがとうございました。合掌