”あるヨギーニの自叙伝” 愛を求めて セーラー服と機関銃 | Chandra Yoga & Healing

”あるヨギーニの自叙伝” 愛を求めて セーラー服と機関銃

 

今朝も、書く瞑想

 

思春期の頃のことを、振り返ってみた

 

見えない存在とのつながりを切ってしまった時のこと

 

 

好奇心が旺盛な私は、外の世界へ飛び出した。

 

中学生だったけれど、お母さんの原チャリに乗って。

 

原チャリに乗っていれば、高校生に見られると思ったのだ。

 

そして、夜の街へ。あの頃流行っていた、ゲーム喫茶へ。

 

今まで一人’孤独だった暗く淋しい世界から

 

明るく賑やかで、楽しい世界へ

 

いろんな人が声をかけてきて、コーラや食べ物をご馳走してくれたり

 

カッコイイ改造した車に乗せてくれて、

 

夜景が綺麗なところに、ドライブに連れて行ってくれた

 

なんて夜の外の世界は楽しいの!!

 

街灯りがキラキラと宝石箱のように輝いてた

 

もうそれからは、夜になるのが待ち遠しい!!

 

それまでは、夜になるのが、淋しくて、怖かったのに・・・

 

新しい世界を見て、ワクワクしていた

 

見えない存在の声も、ピノキオのように鼻が高くなって

 

聞く耳も持たなかった

 

いろいろな人と出会って、

 

原宿で竹の子族の衣装を買って踊って

 

そこでもたくさんの人から声をかけられて

 

お洒落して、ダンスパーティーに行ったりした

 

まるでアメリカングラフィティーの映画のようだった

 

高校生の時、学校の帰りに、校門の前で

 

真っ黒い車に乗った人が来て、

 

「親分があなたを連れて来いというので、来てください」

 

と言われて、抵抗したけど、乗せられて、

 

暴力団の事務所に連れて行かれた。

 

沢山の恐ろしい顔をした人がいて

 

切れた指があった

 

奥に連れて行かれたら、その親分とやらがいた

 

案外、小さくて、優しい人だった

 

「ただ側に居てくれるだけで良いから、居て欲しい

 

 床の間にでも、座っててくれ」

 

と言われて、なんで私が?と思ったけど

 

それからずっとそういう人に付きまとわられた

 

どこに行っても、何をしていても・・・

 

今思うと、私も一人ぼっちで淋しかった 

 

誰でも良いから、ただ誰かに側に居て欲しかった

 

だから、その気持ちも良くわかるから

 

同じ淋しい思いをしている人を、引き寄せてしまったのだと思う

 

表では、強く厳しい顔をしていても

 

私には優しくしてくれた

 

人は見かけには寄らないものだと思った

 

世間では、極悪と思われていても

 

本当は、義理人情があって、とても温かく、礼儀正しい

 

銀座のクラブで、頼まれてバイトをしていた頃があるが

 

よっぽどカタギの成金の人よりも、親切で

 

困った時は、直ぐに助けてくれたり

 

良いことがあれば、直ぐにお祝いしてくれた

 

そんな経験があったから、

 

どんな人も受け入れられるようになったのだと思う

 

人は、良いところも、悪いところも両方あるのだと

 

良いところを見ていれば、きっと良くしてくれると

 

それで、いろいろな人に騙されてしまったのだけれど・・・

 

父を20歳で突然亡くしてしまったから

 

父のような人を求めていたのだと思う・・・