孤独 Loneliness と 独り在ること Aloneness OSHOの言葉
昨日、書く瞑想をして、久々にブログを更新しました。
今朝も、書く瞑想をして、昨日の内容を感じてみました。
私は、ずっと孤独だった。
という言葉から始まった。
それは【孤独は、決して悪くない】ということを伝えたかった。
その時の私は、淋しかった。
でも、孤独だったからこそ、
ピノキオがティンカーベルと話ができたように
私も見えない存在と会話ができたのだと思う。
それが、何者であったか?わからないが
「私は神!なんでもできるの!」
なんて発言をさせてしまう、オモロイ存在だったのだと思う。
そして、その思い込みこそが、不思議な力を発揮できたのだと思う。
OSHOの言葉 を思い出した。
孤独 Loneliness と
独り在ること Aloneness は
辞書では意味は同じだけど、大きな違いがある。
私達は、独りで生まれ、独りで生き、独りで死ぬ。
「独り在ること」はまさに私達の本性だ。
でも、私達はそれに気づいていない。
気づいていないからこそ、いつもでも自分自身と疎遠なのだ。
独り在ることというのは、
実に美しく、至福と、静寂と、平安に満ち
存在と共に寛いでいるものだ。
孤独とは、独り在ることの取り違えだ。
孤独は、まさに病気だが
独り在ることは、完璧な健康だ。
人生の意味を見つける最も基本的な第一歩は
自分の独り在ることの中に入ることだ。
それはあなたの寺院だ。
あなたの神の住処だ。
その寺院は他のどこにも見つけられない。
月や火星に行ったところで・・・
自分の存在の最も内奥の核に入ったら、
自分の目を信じられないだろう・・・
自分はこれほどの喜びを、これほどの祝福を
これほどの愛を携えていたのかと。
そして、あなたは自分自身の宝から逃げようとしていた。
こうした尽きせぬ宝を知ったら、
人間関係へと、創造へと向かうことができる。
自分の愛を分かつことによって、あなたは人々を助けることだろう。
自分の愛によって、あなたは人々に尊厳を与えるだろう。
あなたは努力することなく、ひとつの源泉となり
他人がまた自分の宝を見つける助けとなるだろう。
何を創ろうと、何をしようと、およそあらゆるものの中に
あなたは自分の静寂を、平安を、祝福を広げることができるだろう。
OSHO The Golden Future