宮城県塩釜市にある鹽竈神社・志波彦神社。
3月26日にここを詣でた時は、雨。
4月12日のこの日は、快晴で桜満開。
鹽竈神社 ( ⇒ 鹽竈神社の御由緒|神社について )
唐門👆👇
左右とも、一角獣の狛犬さん。
拝殿の左右にある木彫り獅子の色は緑:右宮(経津主神)と青:左宮(武甕槌神)。
鹽土老翁神を祭っている別宮拝殿の左右の獅子は緑色。
《参照》 『《ムーとユダヤ》そして《シリウス・プレアデス・オリオン》の宇宙神々の系譜』山田雅晴(ヒカルランド)
【神名あれこれ】
[鹽竈神社に祀られている3神について]
武甕槌神(茨城県鹿島神宮主祭神)・経津主神(千葉県香取神宮主祭神)は共に高天の原随一の武の神として国譲りに登場し、国土平定の業をなした神です。社伝によれば、東北地方を平定する役目を担った鹿島・香取の神を道案内されたのが鹽土老翁神の神であり・・・
[御祭神の伝承の異説]
日本を代表する古社、奈良県の春日大社の縁起を伝える『春日権現験記』(1309)によりますと武甕槌神は陸奥国塩竈浦に天降り、やがて鹿島に遷ったとされる注目すべき記述があります。
[多賀城と鹽竈神社]
多賀城の地に国府が置かれると、鹽竈神社はその東北方向つまり「鬼門」に位置し、蝦夷の地に接していた当社が国府の守護と蝦夷地平定の精神的支えとして都から赴任してきた政府の人々に篤く信仰されたものと考えられます。
180度パノラマ撮影
4つ並んだ摂社は、神明社、八幡神社、住吉神社、稲荷神社。
李登輝さんの参拝記念植樹
李登輝さんが来て植樹をしていった「目薬の木」は、唐門の左側にあります。
先月来た時は気づかなかったのですが、この日は、6人連れほどの台湾の皆さんがこの木の前で写真を撮っていたので、気づいたのです。台湾の皆さんは、全員が鹽竈神社に『銅板奉納の寄進』もされていました。
古き良き日本人たちが生きていた時代に日本で学んだ李登輝さんは、日本の良いところを台湾の皆さんに伝えてくれていたので、台湾の皆さんは多くが親日的・愛日的ですし、災害があればどの国々より先に、日本に対して多大な支援をしてくれています。
李登輝さんの著作と、様々な著作内にある李登輝さんに関するものをリンクしておきます。
《参照》 “李登輝” に関する引用一覧
日本人として残念なのは、「現在の日本は、李登輝さんが青年だった頃の日本とは、かけ離れた酷い国になってしまっている」ということですね。今となっては、もはや末期的な状況にある日本です。
それでも、「神国日本は、必ず復活する」はずです。生まれてくる前にしてきた魂の約束を果たすために、日本人として生まれてきた人々が、人知れずいろんな所で、いろんな役割を果たしてくれているのですから。
志波彦神社
志波彦神社は志波彦大神をお祀りしております。あまり馴染みのない御神名ですが、『延喜式』の神名帳に記載されている2861社の中でもわずか225社しかない「名神大社」と言う格別の崇敬を朝廷より受けていた神社です。
御祭神の謎
記紀を始め各書にも神話伝承の見えない志波彦大神とは如何なる神様なのでしょうか。 そのヒントが御神名であり志波とは「物のシワ」つまり端を指す言葉で、仙台市内に志波町、栗原市志波姫に志波姫神社(式内社)、岩手県紫波郡に志波城跡、志和稲荷神社・志和古稲荷神社とシワの名を持つ所が点在します。これは大和朝廷の統治範囲が北進するにつれ、シワの地(朝廷勢力圏の端)が遷っていったと思われ、この地方で信仰されていた国津神(土着神)を志波彦神或いは志波姫神と呼んだものと考えられますが詳らかにはなっておりません。但し農耕守護・殖産・国土開発の神としての信仰が伝わっており、農耕を生業としていた人々の守護神だったのでしょう。
境内周辺の日本庭園
<了>
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