《前編》 より

 

 

【常に覚醒していること】
 あなたが自分の意識を効果的に利用するためには、意識を常に敏感に保つよう、つまり、常に覚醒しているよう、努めなくてはなりません。最初は、努力がいります。しかしやがて自然な覚醒が訪れ、その後には、あなたを通じて輝き、あなたの周囲のあらゆる人たちに降り注ぐ、神々しい光との「接触」が待っています。(p.95)
 高度なシャーマンのことを覚者とか霊覚者ということがあるけれど、そいうことだろう。
 「覚醒している」の反対、つまり「ボーとしている」と、神々しい光とは反対側の存在たちが「接触」してしまう。そうなれば、頭は冴えず理解力も読解力もない状態が常態化してしまうだろう。まさにカルマのなすがままの状態で人生を生きることになってしまうのである。

 

 

【肉体とエネルギー体】
 あなたの肉体は、あなたのエネルギー体に従うようにできています。そして、あなたのエネルギー体は、あなたの肉体の正確な複製です。そのため、もしあなたが、たとえば腕に傷を負い、その傷を自分のエネルギー体の中で癒したとしたら、それがあなたの肉体の中からも速やかに消え去る、ということが実際に起こるのです。(p.100)
 エネルギー体を癒せば、自然治癒の期間も短くなる。
 場合によっては、物理化学生理学的な手法で治療する医者では直せない病気も治ることがある。
 もしあなたが誰かを透視中に、その人のオーラの中で何かが滞っているのを見たとしたら、ほとんどの場合、あなたはそれを変化させる(あるいは動かす)ことで、その人の人生を好転させてあげることができます。(これと同じことは、自分のオーラを見ながら自分自身に対しても行うことができます)。(p.131)

 

 

【イメージの太陽光で満たす】
 あなたはまた、自分の家を光で満たすことで、暗い波動の低レベルの存在たちをそこから追い出すこともできます。これは、自分の家が太陽の光で満たされる様子を明確にイメージすることで行なえます。あなたがそうイメージすると、あなたの家は実際に光のエネルギーで満たされることになるのです。(p.104-105)
 霊界とはイメージの世界であり、イメージの世界は時空間の制約を受けないから、どの様にでも活用できる。光のみならず、愛で満たすことだって可能である。

 

 

【愛で満たす、それとも、恐れで満たす?】
 また、もしあなたが自分の家を愛で満たしたならば、愛を持たない存在のすべてが、そこを離れることにもなります。その一方で、もしあなたが何らかの恐れを抱いているとしたら、たちの悪い幽霊たちは何時までもあなたの家に留まる傾向にあります。というのも、彼らは恐れが大好物だからです。でも、もしあなたが自分の恐れを取り除き、愛で自分自身を満たしたならば、性悪な幽霊たちは退屈し、すぐにあなたの家から立ち去って行くでしょう。(p.105)
 「恐れていることが起きませんように、起きませんように」という祈りは究極的に馬鹿げている。戦争を起こそうとする「闇の勢力」は、メディアの操作情報を使って常に「恐れ」を喚起する。戦争を起こしたくないのであれば、大衆は、メディアによる洗脳報道に支配されることなく、常に「平和」な世界を夢みているに限るのである。

 

 

【悟りとは】
 悟りとは、正しいお経を唱えることでもなければ、単に心の中をきれいにしただけの状態でもありません。それは、正しい波動の中に存在することであり、その状態にあるとき、あなたには、仏陀の言葉を唱えたりする必要など全くありません。なぜならば、そのときあなたは、仏陀の言葉そのものであるからです。
 そのとき、あなたの心はまさしく無の状態にあり、それゆえに、あなたは「活動する宇宙の霊」そのものになっています。そのとき、あなたは風を感じません。あなた自身が風であるからです。さらにそのとき、あなたは光そのものでもあり、そのために、あなたの内なる闇は跡形もなく消え去っています。(p.113-114)
 「正しい波動の中に存在する」ことができていたら「活動する宇宙の霊」そのものになっている、といっている。であるなら、悟りとは宇宙意識にシンクロしている状態ということになるだろう。
 宇宙意識は、様々な制約下で創られた地球上の意識を脱したところにある。だから悟りを得た仏陀は、地上の人間に対して、当初、ひたすら沈黙していたのであり、禅宗ではその境地を不立文字といったりするのだろう。

 

 

【考えることは創造することである】
 あなたが考えることは、あなたそのものです!
 これがどういう意味なのかをご存知でしょうか? 私は、自分を年寄りだと考えているために、不自然に腰を曲げて歩いたり、実際に体の柔軟性を著しく欠いてしまっている人たちを知っています。・・・(中略)・・・
 精神世界探求者たちは、「考えることは創造することである」と信じています。(p.122)
 明るく・元気に・前向きに考えて人生を創造するのか、それとも、ネクラな考えのままにそんな人生を創造するのか。
 低級な宗教にかかわると、このような思念と創造の関係など教えず、「因縁が悪いから」と言いつつ暗い考えに支配された人生を歩み続けさせるのである。低級な宗教は信者をカネ蔓のカモにする。

 

 

【想念世界のメカニズム】
 多くの人が「あんなやつ、死んでしまえ!」などとつぶやいたりしています。
 そして彼らは、そういった行為を単なる言葉だけのことにすぎないと考えているかもしれません。でも、スピリチュアルな人たちは、それを、エネルギー・レベルで実行された実際の行動としてとらえています。(p.126)
 思念の世界や言霊の世界はエネルギー世界だから、思っただけでエネルギー世界に思った通りの事象が生じている。そしてクラインの壺のようにエネルギー宇宙の果てを経巡って、きっちり自分に返ってきてしまう。
 この厳然たる宇宙法則は、きっちり理解しておく必要がある。
 理解できていないヒーラーがいるとしたら、愛を体現できていないのだから、明白な偽者だということになる。
 スピリチュアル・ヒーラーたちは、「どんなに意地悪な人たちに対しても善良な癒しの想念を送り、彼らが放ってくるネガティブなものに対して、よりネガティブなもので応じるのではなく、常に彼らの幸せを願うように」と勧めています。(p.127)

 

 

【努力抜きの作業】
 これまで私たちは、「人間は何を行うときにも、もし努力さえ払わなければ、それをはるかに簡単に行うことができる」という事実を何度となく確認してきました。何を行うにときにも、それを努力抜きで行えるようになったときから、あなたは何を行ってもうまくできるようになるのです。(p.139)
 オーラ透視を学ぼうとする生徒たちが最初に試みることの一つが、オーラを「努力抜き」で見ようとする作業です。もしあなたが努力を払わなければ、カラフルな映像からなる内なるビジョンが、自然にあなたのもとにもたらされるのです。(p.140)
 いわゆる「コツを掴む」的なことを言っているのだろう。繰り返しているうちに自ずと掴めるコツは、努力して掴むという感じではない。
 「努力抜きの人生」は、世界中のあらゆる場所で教えられている霊的教訓であり、自分の「努力抜きの空間」に努力を払わずにアクセスできるようになることで、誰もが素晴らしく有効に利用できる教訓なのです!(p.140)
 人類が霊的な進化を遂げて行けば、「努力」という言葉は次第に使われなくなるだろう。
 「労働」という言葉もこれに連動する。「労働」に代わる言葉は「奉仕」である。

 

 

<了>