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 なぜこのようなタイトルになっているのか、良く分からないけれど、おそらく、1995年初版本だから、オウム真理教が無差別テロを敢行した直後に作られた故なのだろう。

 

 

【一闡提(いっせんだい)】
 この 「一闡提」 という言葉の意味は、仏法を誹謗する人間、すなわち異端の徒である。仏教の伝統でも、異端排除の議論があったわけだ。異端の徒は悪人であるとして成仏させてはもらえなかったのである。仏教は一面で善悪を超える一元的な救済思想すなわち成仏論を主張しながら、同時に善悪二元的なものの考え方をひそかに導入していたといえるだろう。(p.19)
 親鸞は善悪の問題を真剣に考えていたらしいけれど、日本全体では、「草木国土悉皆成仏」 というエコロジカルな領域まで含む概念の導入で、善悪の問題はほとんど消えてしまっていたということらしい。
 しかし、仏教思想の導入を待つまでもなく、日本人には善悪を乗り越えるのに有用な和歌というものがあった。

 

 

【和歌の機能】
 たとえば 『平家物語』 の中に、源三位頼政が切腹する場面が出てくるが、彼もまた死を前にして和歌をつくっている。切腹するときに和歌を詠むのは武士のたしなみであったという面もあっただろう。しかし和歌を詠んで自分の一生を要約し、そのあと切腹して死ぬということは、この世の善悪の枠組みを乗り越えて別の世界に赴くということでもあった。そのための一つの精神コントロール装置として、和歌が機能したのだということができるだろう。(p.31-32)

 

 

【 『勧進帳』 の 「安宅の関」 】
 歌舞伎の中にも、日本人の善悪を超越した人生観の事例がある。
 『勧進帳』 の 「安宅の関」 の場面がなぜ日本人に人気があるのかが納得できます。関守の富樫衛門は落ちのびていくのが義経・弁慶の主従と知りながら、武士の情けで見逃します。それを後で鎌倉幕府に通報するなどという裏切り行為は絶対しない。それが日本人の心を打ったのではないか。この辺りに、日本人の武士道観の最も深い根っこがあるのではないかと思います。(p.130)

 

 

【 『善の研究』 】
 哲学者ですら、日本人は人間悪をテーマとしていない。
 西田幾多郎の 『善の研究』 は、タイトルはこうなっていますけれど、いわれるように善そのものを真正面から論じているわけではありません。主観客観ということを超えた 「純粋経験」 という世界をいかに哲学的に基礎づけるかというところに問題があったわけです。けれども西田の哲学も白樺派の文学も、人間悪をテーマとして取り上げていないという点では共通していました。(p.145)
 善悪基準での思考なら、人間悪は当然俎上に載せて捌く対象になってしまう。しかし、日本人はそこまで苛烈に裁くことの虚しさを知っている。

 

 

【善悪の仕切り線から身を翻す日本人】
 倉田百三のいう人間主義的な愛欲論は一種の 「煩悩即菩提」 の考え方を地でいっている。そのことで善悪の仕切り線をいとも簡単に超えてしまっている。そしてこの善悪の仕切り線からいつでも身を翻す、というところが日本人にはどうも性に合っている。そういう身を翻すところに人生の美しさをかいまみようとする心理がわれわれにはある。そこで安心立命してしまう。(p.147)

 

 

【外来のものを重層的に受け入れ底で支える神道】
 日本人は、仏教からは無常観と浄土観を、そして空や無のイメージを受け入れ、それに対して儒教からは修養、西洋からは個人主義をそれぞれ積極的に受容して、それらをうまく重層化させながら、自らの人格形成に役立ててきたのである。 ・・・(中略)・・・ 。
 これら3つの思想的要因を、われわれの意識の底の方で支えているのが神道的な感覚ではないかと、私は思う。(p.38-39)
 神道が日本文化の基層であるというのは当然であるけれど、すべてを包摂する日本人の思想の核は何かというと、山折さんは以下のように語っている。

 

 

【「共生」 と 「共死」】
 「共生」 という思想は 「共死」 の思想に裏付けられてこそ、はじめて本物になるのではないだろうか。この場合、「共死」 は無常観とも深く関わっているはずである。 ・・・(中略)・・・ 。日本的な 「修養」 や 「個人主義」 という観点から見ても、共に生き、共に死ぬということがあってはじめて人間の成熟した人格形成が可能になるという人間観が抱かれるようになったのである。(p.41)
 世界の思想や宗教は “善悪の彼岸” を語ってきたけれど、神道をベースにした日本教は、常に “生死の裏表” を包摂した視点で見ていたのである。日本の伝統芸能である能で用いられる面など、死相のようであるし、それは当然のことながら死想ともいうべき思想的な理を含んでいる。
 欲望は 「死」 を離れた領域での肥大を専らとする。中国に仏教が根付かなかったのは、神道的な基盤が脆弱だったからともいえるはずである。 「共死」 の思想を欠くがゆえに欲望の肥大に歯止めのかからない中国が、地球と人類の 「共生」 を不可能にする弾み車の役割を担うことだろう。

 

 

【嘘と切腹】
 この間稲森和夫さんと話していたら、「嘘はいっちゃいけないけれども、本当のことをいう必要はない」 といっていた。これは関西人の知恵です。東北地方なんかでは、相当に強く、嘘をいうべからずが生きているようです。(p.122)
   《参照》   『哲学への回帰』 稲盛和夫・梅原猛 (PHP研究所)
               【最後の徳】
 古代から中世にかけての源平の武士たちの死の作法を見ると、切腹するのは関東の武士がほとんどなのです。つまり源氏です。平家は、それに対してみずから死ぬときは入水という方法をとっている。平家は、腹を切っていない。 『平家物語』 でも、平家の侍たちは、みんな海に飛び込んでいます。(p.126)
 腹を割いても何もない、真っ白だ、腹の底から自分は潔白だということを相手に示した。それが儀礼としての切腹という観念を生み出すことにつながったのだといっています。(p.127)
 平家の武士は、切腹していなかったという事実がちょっと意外。
 今日の日本人であっても、関東の人は嘘を恥じ真実を生きようとする潔癖な性があって、関西の人は嘘も方便と心得て生き抜く逞しさがある、ということなのだろう。

 

 

【戦死か入水かウッカリか】
 あの重たい鎧は錨の役目をはたして入水には最適だったのだろうけれど、うっかりバランスを崩して落ちちゃった人も、「潔く入水されました」 と親族には報告されたのだろう。壇ノ浦あたりなら、入水と見せかけて、流れの速い潮に乗って上手に落ち延びた兵たちも少なからずいたはず。

 

 

【 『平家物語』 の出発点 】
 平家因縁の土地について興味深い記述があった。
 六波羅というのは髑髏原であって、その昔ここにはたくさんの死骸がすててあったのです。髑髏があっちにもこっちにも転がっていて、まさに地獄の光景を呈していた。京都で死人が出ると、ここに運んできて捨てた場所だったのです。だから空也が、その一面にちらばっている髑髏を焼いて、それらの供養のために六波羅蜜寺の元の寺を建てた。そしてそこに平家は根拠地を置いたわけです。
  ・・・(中略)・・・ 当時の人たちはそういう平家に後ろ指をさしたと思いますが、案の定、そういう場所に居を定めた平家は30年で滅び去るわけです。
 ですから 『平家物語』 は、そういう無常の場所に居を構えて滅びていった平家一族の無常の物語だという風に、私には思われるのです。平家はその出発点において無常というイメージを伴っていたような気がする。(p.138)
 こういう客観的な事実というのは、学校できちんと教えれば伝統文化としての宗教教育にもなると思うけれど、なぜ教えないのだろうか? 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・・」 という暗記にその事実が加えられることで、より印象深く記憶に残るであろうに。

 

 

【先祖に関する思想】
 私は子供の頃に何か悪いことをするとよく父や母から、「ご先祖様に申しわけがない」 と言われて育ちました。どこにいても、何をしていても、一人でいても、必ずご先祖様は見ているのだ、だから身を慎まなければならないという教育ですが、昔はそういう教育が一般に広く行われていたように思います。それが日本人の倫理観、道徳観を形成していたといっても過言ではない。キリスト教にとっての神と同じような役割を、日本人にとっての 「先祖」 が持っていたわけです。その意味では先祖崇拝はもっと高く評価していい信仰だと思いますね。先祖崇拝が、何か遅れた呪術信仰と境を接しているような、第二義的宗教だと錯覚されているところがありますが、これはおかしいことです。
 ついでながらフランスのことで申しますと、19世紀の末に第3共和政が成立したときですが、「先祖」 を回顧し、大切にしようという一種の思想運動がおこりました。そのことで道徳教育を行おうとしたのですね。一般に近代のフランスと先祖崇拝は無関係だと考えられがちですが、そんなことはないんです。先祖の新しい見直しが時代によって要請されたということだと思います。(p.179)
 もう100年以上も前のことであるにせよ、フランスでこのような思想運動があったとうことなど初めて知った。
 平家の六波羅の例にあるように、先祖に関する意識が遠のくと、やはり個人も家も地域も国家も足元をすくわれる。チョイ霊能者はド派手な護摩焚きのパフォーマンスで先祖供養を演出するスタンドプレーが大好きだけれど、本当の霊能者はマッチの先の炎を見つめながら、人知れずのうちに多くの祖霊を救済してしまう。
 伝統を守ろうと良識ある人々が集って、この 「先祖に関する思想」 を教育に取り込もうとしても、諸国家の伝統を破壊することを使命として “ウル星” から降臨している “ヤツラ” が、「信教の自由」 を楯に伝統復活を強烈に阻むはずである。 “煩せえ奴ら” ががなりたてる喧騒を背景に、空っぽの伽藍堂を建てたがる自己顕示欲の強い新興宗教団体の教祖は、伝統文化からの乖離を危ぶむ民の心の隙間を利用して、先祖供養の名目で信者から供養料を “鴨る” のである。

 

 『宗教の自殺』 というタイトルのこの書籍は、このような皮肉で締め括っているのではない。引用以外は、私が勝手に書いているだけである。
 
 
<了>