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 前半は楠木正成公を中心とした歴史物語のような話である。後半のマネジメントに関する実話も興味深い。

 

 

【信貴山・毘沙門堂】
 四天王寺のルーツはどこにあるかと言えば信貴山。目の前に降臨してきた毘沙門天の姿を彫って、聖徳太子は 「この戦いに勝たせてくれれば四天王を祀ります」 と誓いを立てた。その降臨した場所が信貴山。そして、そのとき聖徳太子自ら彫った毘沙門天の像が御本尊になっているんです。(p.39)

 

 

【楠木正成は聖徳太子の生まれ変わり】
 そこにお母さんがお百度を踏んで生まれたのが多聞丸。ですから、毘沙門天は正成公にとってのいわば産土仏ですね。その毘沙門天の働きと導きによって生き、そして死んでいったような人ですよね。楠木正成という人は。(p.39-40)
 多聞丸は楠木正成の幼名で、多聞天は毘沙門天の別称。

 

 

【百発百中の楠木正成】
 楠木正成公はなぜ百発百中だったかと言うと、己がなかったら。私心がないひとでないと、摩利支尊天という仏様は使えないわけです。己の一身上のことを離れて国を守り、法を守る。そういう人を守るのが摩利支尊天であって、自ら姿を現さない。つまり、正成公自身、姿を見せないでへりくだってやるという神性、仏性を持っていたから、摩利支尊天の御加護を受けることができたわけです。(p.64)
 摩利支尊天というのは、・・・中略・・・、太陽のコロナのように姿が見えない。つまり隠形(おんぎょう)の仏様なんですよ。(p.30)
 正成公の類まれなる霊能力は毘沙門天の守護もさることながら、摩利支尊天の守護の賜物といっても過言ではありません。(p.30)
 無私と謙虚さ。
 大伽藍を建立するような自己顕示欲の強い新興宗教団体の教祖が、摩利支尊天云々言っていても、それはタヌキが化けた摩利支尊なのだろう。正神界は境地で峻別する。

 

 

【私心を離れて・・・】
 私たち経営者はどうしたらいいのかと言うと、やはり正成公のように私心(わたくしごころ)を離れて経営に当たらなければいけない。(p.70)
 何故かというと、神仏の加護を得るため。
 そして、以下のため。

 

 

【直感力】
 私心を離れて会社のため、従業員のため、取引先のためといつも祈っていると、基礎知識の応用の仕方がパッと浮かんでくるんです。目に見えない九頭龍さんなり、毘沙門天さんなり、摩利支尊天さんなり、石清水八幡さんなりがパット来て、教えてくれるわけ。私なんか、ふだんから近しく交流していますけれども、普通の人でも 「あ、何かこうじゃないかな」 という直観があるはずです。直感力はレベルの差こそあれ、誰でも持っていますよ。その直感力が大切なんです。成功している経営者の十人中十人、直感力に秀でています。企業経営というのは最終的に、その直感力の勝負なんですね。(p.75-76)
 直感力と無私は、脳科学的な視点で相関性が認められるという記述の書籍は多い。

 

 

【無私と情熱】
 自ずから無私な状態というのは、自分のことを考える間がないぐらいに人のことを考える。それが、自ずから無私の状態。そういうふうに自分を離れて人のために一生懸命やっているときは一番、神仏と近い。だから、直感力が冴える。運もいただける。その情熱が異性や遊び、あるいは財テクのほうに向かっていると、神仏から遠い分だけ直感力も鈍るし、運気も下がってしまうわけです。
 ですから、いつも言うように企業倒産の一番の原因は何かと言うと放漫経営。倒産原因の一番は放漫経営 ・・・中略・・・。では放漫の逆は何かと考えたら、情熱。会社の仕事、経営に対する情熱を持って、創意工夫と努力をしていく。(p.83)

 

 

【菱研にくる人】
 強欲な人間というのは菱研なんかに来るよりも、もっと楽しいことがいっぱいありますよ。ここも楽しいけれど、種類がちがう。もっとドロドロしたところに行きます。ここはあまりにも明るく、清々しく、面白すぎるから、強欲の人は来ることができませんね。(p.90)

 

 

【スペシャリスト的とマネジメント的】
「その傲慢さと闘って、スペシャリストではなくマネジメント能力を磨かないと、本当の意味において組織の中心にはなれない。スペシャリスト的なものの考え方でやっていくやり方を、マネジメント的なものの考え方でやっていくように頭の使い方を変えないと、その能力だけで一生が終わっちゃうよ」(p.161)
 そう、頭の使い方を変えないと・・・・。相手に対して 「バカ!」 と思ってしまうのは、マネジメントとしての頭の使い方(切り替え)ができていない証拠。

 

 

【傲慢の反対側】
 私は何でもかんでも 「俺が、俺が」 という人間ではないから、2番でも3番でも何番でも全然、苦になりません。いくらでもへりくだることができます。そんなにプライドの高い人間ではありません。絶えず全体を見渡して、ベストな手法は何なのかというふうに知的に考える人間ですし、己というものをいつも謙虚に見ています。とにかく、お山の大将であってはならないと思っていますね。(p.185)

 

 

【伸びる経営者】
 経営者は社員に説教する前に、自ら実践しなければいけませんね。何かいい話があったら、そんなバカなことあるわけないよ、ハナからきめつけるような経営者は絶対に伸びないですから。(p.194)
 誰にでもある固定観念の壁をより薄くより低くできる人の方が、幅が広くて自在性に富んだ人になれる、と言うことでもあるのだろう。バカバカしいという思いの発信源である “固定観念という当人にとっての常識” の壁を越えられるのは、単純な好奇心であったりもするけれど、常識を棚上げして行動することの有意を自覚した知性でもある。好奇心の程度と知性の有り方が、人それぞれの行動の幅を定めているものなのだろう。小説を読んでいても破天荒な方が面白い。
 経営者の場合は、現場主義的な実情報の収集癖をつけるという意味においても大切なことなのだろう。
 

<了>