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 イギリスの思想家・作家であるジェームズ・アレン(1864~1912)の著作の数々は、西欧圏では、聖書に次ぐベストセラーとして読み継がれている。キリスト教圏の著者であるにせよ、宗教的真理に東西の違いがあるものではないのだから、現代の日本人にも愛読者は少なくないはずである。
 私にしても、およそ抹香臭く学術っぽい仏教の用語から、因縁の世界を学んだ後に、ジェームズ・アレンの 『「原因」と「結果」の法則』 という著作に出会ってこれを読んだ時は、「この著作の方が、遥かに平易にかつ深く学べるではないか」、と思ったものだった。

 

 

【現在の状態】
 今、現在の状態は、その人が過去に考えたことや行ったこと、その人が今考えていることや行っていることの当然の結果にほかなりません。意思の弱い人は、弱いままに保っているのです。罪深い人は、自分自身が犯した罪深い行為、今犯し続けている罪深い行為によって罪深くなったのです。愚かな人は、愚かなことをするから愚かになったのです。
 性格も、魂も、人生も、自分自身の志向や行動と切り離して考えることはできません。それどころか、思考と行動がどういうものであるかによって、その人がどういう人になるかが決まります。つまり、思考を変えれば、その人自身も変わります。 (p.11-12)

 

 

【自己コントロール】
 いくら神やイエス、ブラフマンや仏陀、精霊や導師たちを求めようと、自分をコントロールして自分を浄めるつもがない人には何も起こりません。イエスが神だと信じようと信じまいと、仏陀が全知であると信じようと信じまいと、精霊や導師たちがこの世の出来事を導いているのだと信じようと信じまいと、自分の中の争いや無知や堕落といった要素にとらわれている限りは、何の助けにもならないのです。
 中傷や罵倒する言葉をやめること、怒りの衝動に身を任せないこと、みだらな妄想を捨てることを拒むならば、その人の罪を消すことはどんな屁理屈をつけても無理ですし、その人を矯正することはどんな力を駆使しても不可能です。 (p.73)
 

【無常の中心に横たわるもの】
 すべてのあやまちの真ん中に、真理が存在しています。無常の中心に、永遠なるものが横たわっています。ただ、永遠であって変化することのない実体を、幻影が覆い隠しているに過ぎません。
 ここでは、その実体の性質を扱わないことにします。それは、「愛や思いやりでないもの、知恵や清浄でないものを心の中から放棄することによってのみ見つかるものだ」 と述べておけば十分でしょう。愛や思いやり、智恵や清浄には、移ろい行く要素はなく、悲しみはなく、不安もありません。
 無常という真理が充分に理解され、無常という真理に含まれる課題が充分に習得されたとき、人は永遠普遍の真理を見出していきます。それから、悲しみを生み出す自分本位の要素を、心から引き離していくようになります。
 真理こそが宝物であるという人、智恵に従った人生を送っている人は、消え去ることのない喜びを手に入れます。悲しみに満ちた土地を離れ、幻影という名の大海を渡り、悲しみのない彼岸にたどり着くのです。 (p.1171-172)

 

 

【消えることなき光】
 真理の中に拠りどころを得た人は、賢明な理解や、愛に満ちて確固とした心の中に拠りどころがあるわけですが、快楽が訪れようと、苦しみが訪れようと、変わることがありません。富もうと貧しくなろうと、成功しようと失敗しようと、健康であろうと病気になろうと、親しい人がいようといまいと、独居であろうと騒々しい人ごみの中にいようと、変わることはありません。そして、経典や智者にも依存しません。真理の本質が直接教えてくれるからです。
 そして、恐れることも悲しむこともなく、あらゆるものごとに存在する変化や衰退を認識するようになります。このとき、道を求める人は、平安を見出し、永遠の聖域に入ったといえます。つまり、ついに消えることのない光を見つけるのです。 (p.177-178)
 
 
 

<了>

 

  ジェームズ・アレン著の読書記録

     『大いなる不変の法則』

     『人生がばら色に変わる50の言葉』

     『「意志」と「人生」の法則』

     『「原因」と「結果」の法則2』