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 著者は熊本県天草の出身。信仰問題や苛烈な税の取立てで、おおいに揺れた江戸時代の天草。為政者の側に、最高の人物がいたことを知る人々は多くないだろう。

 

 

【人間の最高の贅沢】
 そして皆さん方にお伝えすることがあります。
 人間の最高の贅沢は何か、ご存知ですか。
 それは地位でも名誉でも金でも財産でも、権力でもありません。
 たった一つのわが命を、
 「世のため人のために差し出すことのできる勇気と行動」
 を贅沢というのです。
 これが本当の人間の贅沢なんです。   (p.33)

 

 

【最高の人物】
 明治の初め日本の郵便制度を作りあげた人物は前島密でありますが、この人の言葉に、
「全ての幸福の条件を失っても、なお人のために尽くすことのできる人を最高の人物という」
 というのがあります。 (p.98)
 この文章に続いて、江戸時代の天草の統治者であった鈴木重成公という人物のことが書かれている。

 

 

【鈴木重成公】
 重成公は困難な天草の統治を命ぜられ、次から次に襲ってくる天災・人災に悩まされた。そのため切腹するという
 「すべての幸福の条件」
 を失いましたが、しかし切腹によって
 「人のため、世のために尽くす」
 最高の人になられたのであります。
 切腹の理由・・・・無理な石高査定による民衆と苦しみと、それを変ええぬ代官としての立場か・・・
 天草4万2千石のひどい石高査定は、鈴木重成公が切腹して7年経った万治2年(1659)、2代目代官鈴木伊兵衛重辰(しげとし)公のとき2万1千石に石高半減されました。 (p.106)

 

 

【鈴木神社】
 2代目代官鈴木重辰公は鈴木正三和尚の実子で長男ですが、正三和尚が出家されたとき、鈴木重成公が引き取って養子にされました。この重辰公も重成公の遺志をついで天草代官着任(明暦元年=1655)後、ただちに石高半減に奔走されました。
 そして二代にわたる減税嘆願がみごとに実を結んだのであります。
 今、熊本県本渡市にある鈴木神社には、本尊として、「鈴木正三和尚、鈴木重成公、鈴木重辰公」 の絵像がまつられております。  (p.106)
 

【日本教徒:不干斎ハビアン】
 不干斎ハビアンは純粋の日本人ですが、今から約4百年ぐらい前に仏教と儒教とキリスト教を学んで一家をなしました。しかしそのあと全てを捨てて、この三教を排撃、論破した本を出しています。3つの教えに通じ、しかも3つの教えをことごとく批判したのは、日本では不干斎ハビアンただ一人です。
 故山本七平氏はハビアンを典型的な日本思想のもち主だとし、日本教徒と定義しています。日本教は 「人を人とも思わぬ者、世を世とも思わぬ者(おごって人をあなどる権力者)は亡ぶ」 という考えであり、天地と社会の恩を知って、分相応の振る舞いをせよ、というのが教えです。 (p.53)

 

 

【樋口季一郎氏と安江仙江氏】
 ちなみに、ユダヤ人のユダヤ国家がイスラエルに誕生したとき、世界各地のユダヤ人から送られた金貨、指輪、首飾りなどで、「高さ3メートル、厚さ1メートル」の本をひろげた形の 「ゴールデン・ブック碑」 が建てられた。この碑にはモーセ、メンデルスゾーン、アインシュタインなど傑出したユダヤの偉人の名がありますが、4番目は樋口季一郎、5番目は安江仙江の名がきざまれております。 (p.11)
 いずれも、第2次世界大戦中、ナチスの迫害を逃れてきたユダヤ人たちに対して、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等をおこなって数千人の人命を助けた陸軍の軍人である。
 ユダヤ人難民に6千枚といわれる大量のビザを発給してその命を救った在カウナス(リトアニア)の領事代理故杉原千畝氏のことの含め、当時の対応を、著者は、人道的立場に立ったときの日本政府の武士道精神の現れです、と記述している。

 

 

【日本人が命に代えて守ってきたもの】
 現在の日本は平和に満ち溢れて 「切腹」 が出現するほどの緊迫した時代ではありません。しかしここで考えていただきたいことは、あまりの平和によって、このよき日本精神がまさに滅びようとしていることです。
 精神が滅べば国家は必ず滅ぶのであります。 (p.99-100)
 現在のメディアにでてくる日本人(政治家・評論家・芸能人)たちを見ながら、若者たちは、この国が武士道国家であったことを信じることができるのであろうか。人のために自らの命をかえりみず、また自らの行為に恥じるところあらば、潔く切腹を以ってつぐなってきた武士道精神を有する人々の集う国であったことを、現在の日本の若者達は信じることができるであろうか。                             
 
 
<了>