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 オヤジじゃないし、心は未だ幼稚な20代だけど、副題に 「30代、40代の人が読んだらもっといい」 とあったから読んだ。


【ユダヤの秘儀も50歳以降に伝授される】
 この(カバラの数霊)秘儀は、50歳からでないと伝授されないものなのだ。
 人生の経験を積んで、まあ、世の中ってこんなもんか。男ってこんなもんか。女ってこんなもんか、家族ってこんなもんか、家庭ってこんなもんか、と大体世の中の大枠や要素が全部分かったときから、本当の数の働き、自然の成り立ちというのが分かって使いこなせるようになってくる。
 だから、50歳までは伝授しないということになっている。それ以前に早く伝授すると、秘儀のもつ意味に人が使われてしまって、使いこなせないからだ。若い人では、秘儀の力とか法則に翻弄されてしまって、それを使いこなせる主体性がもてないからというので、50歳までは伝授されないのである。
 ふ~ん。
 チャンちゃんなんて50になってもおそらく、男も女も家族も家庭も世の中の大枠も全然わかってないだろう。だから、うっかりカバラの秘儀を学んだりなんかしたらバカラになっちゃう。バカラになったら、バカさ加減でモスラにゃ勝てる。ゴジラにも勝てるか?

 

 

【脳が一番動くのは50代だ】
 たしかに記憶力のピークというのは16,7歳ぐらいで、高1から高2ぐらいだ。だからいろんな知識はこの時期に吸収したほうがいい。しかし、脳全体としては、記憶力は少し衰えるかもしれないが、判断力や類推力、咀嚼力や表現力など全体に見て、脳が一番活発に動いているのは50代からなのだ。脳というのはエンジンがかかるのに、なんと50年かかるというわけである。
 ふ~ん。
 じゃあ、50代前は、キーを抜きっぱなしでガソリンは温存しよう。アイドリングしたりふかしたりするとガソリンがもったいない・・・・。高いもん。
 でも、そんなんじゃ、おそらく30代で錆びちゃうよね、脳が。そうでなきゃ、なすすべないスカスカの茄子アタマになる。錆びたらクレ556。スカスカの茄子アタマは激辛豆板醤炒めでビビッっと立て直そう。

 

 

【青春時代を懐かしむな!】
 年齢が増すと、どうしても過去を追憶する傾向がでてくるけれど、追憶というものは、前向きではなく、発展的ではなく、明るくはない場合が多いから、マイナスの霊界に感応してしまい、よろしくないことが多いのだという。
 結婚式場というのは本当に地縛霊が多い。楽しかった思い出、華やかだった思い出がそこにはある。そんな人が、事故で死んだりすると、ああ、懐かしかったなあと思い出して、ぱっとそこへ行く。だから結婚式場は地縛霊が多い。
 ディズニーランドも、浮遊霊のかたまりだ。子供たちの憧れだ。だから一回ディズニーランドに行った子供が水死したり、事故死したり、病死したりすると、ディズニーランドはよかったなあ、もう一度行ってみたいなあと思うので、浮遊霊になって飛んでいく。そういう死んだ子供たちがディズニーランドをうろうろしているから、霊的に敏感な人はディズニーランドへ行ったら、本当に具合が悪くなる。 (p.130)
 つまり、追憶にばかりかまけていると、肉体を持たない状態で過去の追憶世界を彷徨っている地縛霊さんや浮遊霊さんたちと波長が合ってしまい、思わぬ不調や不運を呼び込むことになってしまうから、ということである。

 

 

【聖徳太子は目標のために子孫根絶やしを選んだ】
 生きざま死にざまを考える、という具体的な話。
 (聖徳太子が)わざわざ、子孫が繁栄しないお墓を作ったというのは、どういうわけか。自分の子孫と家系が残ると、結局、門閥政治になってしまうことが太子には分かっていた。それは聖徳太子の大目標に反するものだった。
 当時は豪族の門閥があるゆえに、わざわざ 「和をもって尊しとなす」 と言わねばならないほど、和が保たれない状態だった。それで、太子は冠位十二階制度を作った。それは家の閨閥、門閥に関係なく、有能な能力のある人を政治家にし、役人にして、取り立てようというものであった。
 ところが彼には、山背大兄王をはじめ、子供が何人もいた。この人たちは人望もあり、聖徳太子の息子さんだからというので、権力を独占することになるだろう。それでは門閥政治、閨閥政治を否定して十二階制度をつくったのに、自分の息子が残ることによって同じようにまた派閥ができることになる。だから聖徳太子は、みずからの政治家としての使命と、真に日本を思う誠を果たさんがために、子孫が根絶やしになる墓相をわざと作ってお亡くなりになったのである。 (p.70)
 凡人には突飛な話に思えるけれど、会社を経営しているような方々には学びの多い話である。
   《参照》  『もう朝だぞ!』  友常貴仁  三五館
             【聖徳太子】

 

 

<了>

 

 

   深見東州・著の読書記録