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 著者のそれぞれがご自身の著書の中に書いているのと同じことが、この著書の中にも要約されて書かれている。なのでメインな記述に関しては殆ど新発見はない。エトセトラな記述の中で興味深い所を記述しておくのみ。


【真実を述べたダイアナ妃】
 チャールズ皇太子との不仲説が喧伝される中、ダイアナ妃が不倫を告白したことに関する番組を、樋口さんはロンドンで見ていたという。
 番組の結論は、
「ダイアナ元皇太子妃が不倫をしたことは英国民としては悲しいが、彼女の魅力は不倫を正直に認めたことである」
 というものでした。
・・・(中略)・・・。世界中の人々がダイアナ元皇太子妃を愛しているのは、彼女がチャーミングだからとか、積極的にボランティア活動をしたからということもあるでしょうが、一番のポイントは 「嘘をつかなかった」 からだと言われています。 (p.49-51)
 樋口さんは、このダイアナ妃の事例を、「真実を述べることの大切さ」 という解釈例として挙げているのだけれど、経営に資する学びの事例としてふさわしいものには思えない。
 ふつうの日本人として考えるならば、不倫を犯した事後の対処法としての 「真実告白」 は、片や(ダイアナ妃にとっては)開き直りのようなものあろうし、未来へ向けての善処の意思は含まれていない。しかし、片や(経営者にとっては)善処への意思表示としての第一歩のはずである。

 

 

【黄金ウンコを空に飛ばせた人】
 東京の隅田川沿いのビルの上にある、ビールの泡を模した金色のオブジェのことを、非常に上品(↓)な表現ではあるけれど 「空飛ぶ黄金ウンコ」 と言うと、都内の住民なら誰でも直ぐに理解してくれる。
 これは、極度の経営不振に陥っていたアサヒビールが、スーパードライで劇的に復活した証として作られたものらしい。その復活劇を成し遂げた時期のアサヒビールの社長さんが樋口さんだったから、その頃(10年以上前)樋口さんの本はビジネス書として、どこの書店でも多量に売られていた。
 しかし、アサヒビール再建に関して何冊かのビジネス書を読んでみると、再建には前任者たちの果たした役割が大きかったらしいことが分かってきたのである。
 樋口さんの前任社長さんの時、大前研一さん率いるマッキンゼーに、アサヒビール再建のコンサルタントを依頼し、「コクとキレ」 というスーバードライの新しいコンセプトはできていたらしい。しかし、経営不振のアサヒビールには工場を刷新するために必要な莫大な資金を賄う力などまるで無い。そこで、住友銀行出身の樋口さんが資金融資のキーマンとして社長に迎え入れられたというのが事の順序だったようだ。金融業界にパイプの太い人材である樋口さんを社長に抜擢したのも、マッキンゼーのアサヒビール再建計画に沿ったものであったはずである。
 このことが分かってから、ビジネス業界では樋口さんばかりが賞賛されていたので、「かなりいいとこ取りに近いのでは・・・」 と思い、前任の社長さんのことが気の毒に思えていたものだった。

 

 

【環境が正しければ、競争は発生しない】
 今西錦司先生がサルの研究をして住んでいた建物の横を通りながら、懐かしく思ったのは、
「ダーウィンの進化論は間違っている」
 という今西先生の言葉でした。私が驚いて、
「何が間違っているんですか」
 と尋ねますと、先生は
「間違った環境を作ったときだけしか、競争は発生しない。本来、競争というものは、間違ったときに起きるんだ。だから、人間社会は間違っている」
 そんなバカなことが、と私は思ったのですが、どうやら正しい環境をつくれば競争は発生しないようです。 (p.85-86)
 たいして差がないと優劣意識が生じるであろうけれど、差が大きければ優劣意識などさておいて上位者は下位者を庇護する意識傾向を示すものだろう。
 人間対人間という大して差のない者同士の関係では優劣意識から 「競争」 という概念が生まれ、神対人間という埋めようのない差があれば 「恩恵」 という概念が語られる。
 動植物は人間のように個体意識は強くなく、むしろ群魂意識を多く有している。だから種同士で不必要な競争を生まない。唯識論にしたがって意識=環境と考えるならば、神や動物に比べて個体意識が顕著な人間の意識自体が、未成熟でもあり中途半端でもあるから、競争を生んでいる、ということになるのだろう。
 数千年単位でみれば、人間(人類全体)の意識も変容している。天空から地上に降り注ぐ波動は、今まではダウンストリーム(意識の低次元化)、これからはアップストリーム(意識の高次元化)が基調のはず。その端境期には、社会的・経済的大変動という地上環境の大変動が生じやすく、これを契機に人間(人類)の意識が変容するということも十分ありうる。
 「共産主義」 が滅んで以来20年。「競争」 を原理としたカウンターパートの 「資本主義」 もクローズする時期はそう遠くないはず。その時に至って、漸く、人類に 「競争」 ではなく 「共創意識」 が共有されるようになるのだろう。
 
<了>