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 本書は、鹿島に関する私の過去の膨大な講演の一部をまとめたものです。(p.3) と書かれている。チャンちゃんの神道や仏教、つまり日本神霊界に関する知見の多くは、著者の講演や著作に寄っている。
 かつて(十数年前)少なからぬ時間と費用をついやして、著者の講演に参加したことのある人々は、その講演のエッセンスの多くが、わずか千円ほどのこの 『日本霊界風土記』 シリーズに書かれているのに気付いて、ビックリあるいは憤然とするのではないだろうか。しかし、落ち着いて思い返してみれば、講演会では何かを体感ないし体得できていたはずである。実践神道家である著者の書物を通じて、日本神霊界のかなり奥深くまで知ることはできるけれど、それとて、日本神霊界の入り口に立っただけ、ということになるだろう。


【神社参拝の心構え】
 参拝の基本とは何なのか。結論から先に言えば、「感性の参拝」、すなわち、神霊界に貫通する参拝でございます。(p.18)
 でもって、感性の参拝を果たすためのポイント3つ。
 まず神域に足を踏み入れるということ。神社は神域というか神霊空間ですから、そこに足を踏み入れるんだということを自覚しなければなりません。
 その次に、通い路(天界あるいは宇宙空間と現実界を結ぶパイプ)から来ていらっしゃるご神霊にお目にかかるんだと意識すること。これが二番目。
 三番目は、形を整えて、神社の前で二礼二拍手一拝の参拝をする。礼節を持って、お参りするわけです。 (p.22)
 鹿島神宮の神域は実に素晴しい。樹齢千年の巨木が文字通り林立している。鹿島の祭神は武甕槌神。神社の祭神に関する具体的な名称は、たいてい各神社のパンフレットに書かれているけれど、必ずしもそれで祭神の本質を深く知りえないことが個人参拝の悲しいところである。ましてや凡人には通い路など見えやしない。とはいえ、目に見えざるものに対する礼節、これは現実界でも同じことである。誠の表れ。
 ところが、一般の参拝の人々は、神域や通い路への意識などなく、祭神の奥深い本当の働きなど知る由もなく、その神名すらうろ覚え、普段着で賽銭を放り投げるだけで、敬も誠もどこえやら。これで高貴な神霊界が 「よし、分かった」 と感応してくれるかどうか・・・・。それでも、「主祭神じきじきとはいかなくとも、眷属は働いてくれる」 と著者は言っている。

 

 

【剣の神・鹿島】
 神社の神霊に感応するにはなんと言っても大和言葉の和歌が相応しい。「つむがりのたち」 とは鹿島神宮参拝の機に浮かんだ和歌の中のひとつの句。
 武術でもそうです。焦りの心、迷いの心が起きたときには隙が生まれる。そこをバーンと打たれる。ところが、「つむがりのたち」 で頭を切ると、余計なことを考えない。余計なことを思わない。真っすぐな心だけがある。だから、隙が生まれない。「神様の道でも武道でも、これが極意なんだ」 と神様が教えてくださいました。 (p.66)
 頭を切って臍下丹田に立てる。古来、日本人は頭ではなく肚で決めてきた。頭の意識より身体意識を尊んでいた。

 

 

【「要石」 に隠された天の秘密】
 ここには天界からのパイプ口が降りていまして、その上にはある星の神界の武器弾薬庫がございます。神霊的な武器弾薬庫とは、現実界では、金の力、人材の力、組織力、体力、気力、名誉や権威、情報力、文章力となって強い働きを持ち、私たちの現実生活を確実に豊かにしていきます。 (p.84)
 鹿島神宮の祭神の働きに関わる記述の極一部。この書籍には、神社のパンフレットには書かれていないような、こういった記述が豊富に書かれている。実は、このような祭神(神社)の特徴がわかっていないと、自分自身の祈願内容に相応しい神社がどこなのか分からないことになる。

 

 

【白隠禅師と盤珪禅師の違い】
 日本の禅宗には白隠禅師と盤珪禅師という二人の大きな人物がおります。二人の特色は、社会の底辺に住む禅宗の教え、すなわち妙と玄の道を広げたことにありまして、言行録を見ましても、二人とも実に素晴しい。
 ところが、盤珪は一代かぎりで終わってしまった。一方の白隠は法系を残した。これまで何度も話してきましたが、今の禅宗は全部、白隠の系統です。この白隠がいなければ、禅も臨済宗も隆盛の道はなかったといっても過言では在りません。だからこそ、白隠は 「臨済宗中興の祖」 と呼ばれ、5百年に一度の天才と称されているわけです。
 では白隠禅師と盤珪禅師、どこがどう違うのかと申しますと、白隠は応・燈・関、すなわち大応国師、大燈国師、関山という臨済宗の伝統的な流れに基づきながら、禅の真実を語った。古典と伝統を踏まえ、そこに白隠独自のオリジナルな公案を加えて、民衆を広く教化したわけです。
 つまり皇紀二千六百五十年の惟神(かんながら)の道の伝統と古典、および、その法脈・霊脈・神脈を踏まえたうえでのオリジナルな解釈とか表現力を出していくからこそ、広く民衆に伝わるのであって、伝統を踏まえたものでないと長続きしないんですよね。盤珪と白隠の歴史を見たら、そのことがよくわかります。 (p.71)
 

【御船祭】
 鹿島神宮では12年に一度、午の年に御船祭が行われている。
 なぜ午年なのか。鹿島神宮の関係者の方々にも、「理由はよくわからないんですが、昔から午年なんですよ」 とおっしゃるだけで、はっきりしたことはよくわかっていないようです。
 しかし、私にいわせれば簡単です。十二支の中で最も陽が極まるのが午年だからです。午は南、子は北です。地球の南北を結ぶ線を子午線といいますけれど、子は陰の極まり、午は陽の極まりです。 (p.112)
 もともと鹿島神宮のある地は常陸(日立)の国と言われているように、朝日が昇る地の意味。そもそも神道では、毎年、夏至(陽)と冬至(陰)に合わせて重要な神事を行なっている。
 陽の地、陽の時期、陽の年に御船祭は行われている。

 

 

【鹿島神宮と春日大社】
 藤原氏の元は中臣氏。中臣氏は茨城県の鹿島のところから出て、そして、中央で藤原氏が政権を取ったときに、鹿島の神様をお祀りしたいということで祀ったのが春日大社なのです。
 春日大社の御祭神は武甕槌神。そして、白い鹿のうえに鹿島のご神霊を乗せてお祀りをしたので鹿公園ができた。鹿島の鹿をそのまま奈良へ持っていったわけです。 (p.128)
 鹿島の神は、神武東征の折、神武天皇を助けて日本建国に関わった神様であるから、それ相応の神力を有しているのはいうまでもない。
 この書籍には、天孫降臨にかかわる出雲、諏訪、鹿島の神々の関連が、簡潔に書かれていたり、祈願に関する諏訪、箱根、鹿島の使い分けなども書かれているので、厚さの割に内容豊富であるし、末永く神の道を歩まんと欲する人には、それを叶えるための重要なポイントが書かれていたりもする。

 

 

【神道は日本の基盤】
 神道は日本の基盤なのだから、神道を学ぶならば当然のごとく広い視野で各宗派の仏教を学べるのであるし、神道を語れるような高位な霊格者の傘下に入るならば、仏教どころか儒教やキリスト教やイスラム教の神霊界ですら具体的に体感しながら学べるものである。しかし、仏教系の教団に属して宗教を学んだ場合は、教団独自のドクマを刷り込まれるだけで、世界史を見通すことなどとうてい不可能な視野狭窄な偏知者にしかなれない。
 これは宗教と不可分な日本の文化や世界の文化を学ぶ上において実に重大なポイントであり、私自身今だから語りうることであるけれど、神道を学ぶ以前の私自身が正に密教系の仏教教学に包囲された偏知者であったから、他者を笑えない。
 「日本人でありながら日本(神霊界)を知らない人々が多すぎる」 ということが、 “この国の悲しみ” かもしれない。著者の 『日本霊界風土記 ○○』 シリーズは、大盤振る舞いで日本を開示してくれている。

 

 
<了>