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 朝鮮戦争の砲火がやんだ2年後の1955年、北朝鮮との国境にある丹東に生まれた著者は、その後の文化大革命時代に翻弄され続けた。胡弓奏者、芸術家としての生き方を貫いている姿が美しい。

 

 

【将来は美術家に】
 両親、祖父祖母、兄二人、すなわち家族全員が絵を描く家庭環境だったので、著者も好んで絵を描いていた。絵画のみならず音楽にも囲まれた芸術一家だったらしい。家の壁には日本人画家が描いた絵が二つあったという。
 上の兄と下の兄は四つ違いでしたが、大の仲良しでした。いつも一緒にレンブラントやルノアールの画集を広げて、休日なら一日中、普通の日は一晩中、研究討論をしているのです。家の中には二人も美術評論家がいて、彼らの評論はとても面白かったし、よい勉強になりましたから、私は眠くても頑張ってそばで聞いていたものでした。  (p.22)
 しかし、軽い色弱があるということで、結局は音楽の道を選んだのだという。

 

 

【文化大革命時代】
 父親は文化大革命時代が終わるまで反革命のレッテルを貼られ、20年間牢獄に入れられていたので、著者は生まれてこの方、会ったことすらなかった。そればかりか、胡弓をはじめ様々な才能が認められても、父親のレッテル故に全てが台無しになる日々だった。
 一部屋を埋め尽くしていた蔵書も、反革命の証拠となるのを恐れて、焚書し燃やしきれない物は土に埋めてしまったのだという。それでも母親は悪意ある中傷によって “黒五類” と書かれた白い襷をかけて、大通りの清掃をさせられたのだという。そして、著者もついに農村に下放されることとなった。
 下品な話ばかりしている農民たちではあったけれど、農村で芸術団を結成したがっていた彼らが、胡弓奏者として名を上げていた著者を希望していのだという。
 どうしても音が外れる胡弓奏者がいました。私は彼の指を見て、感動で胸が詰まりました。その指は長年の労働で変形し、固く曲がっているのです。それでも胡弓を一生懸命弾いている -------- 私は涙が出ました。 (p.145)
 人を陥れるために容赦なく悪意ある中傷をする都市部の人々の生活にも疲れはてていた著者は、純朴な農村の人々との生活に大いに癒されていったのだという。後々、胡弓のために作曲したものの多くは、この農村での生活風景に思いを抱きつつであった、と記述されている。
 農民たち。田園。それらは私の生命です。大変な災難の中で私の身の安全を守ってくれた大切なところ。私にとって芸術を培ったとこと、私という芸術家の揺りかごでした。
 いま思うと、あの時、あの村に下放されたことは、私の人生の中で、ある意味の幸運だったのです。素朴な農民たちと一緒に肉体労働をする中で、いまの私の芸術のもとは作られていったのですから。4年近い農村での生活は、私の音楽にさまざまな恩恵を与えてくれました。私はここでたくさんの民謡を集め、それによって音楽の原点に触れたのです。   (p.163)

 

 

【文革後】
 文革前、著者を拒んだ都市部の芸術団が、文革後は手のひらを返したように歓迎して迎え入れてくれた。文革時代の著者の境遇を知っていた民衆は、圧倒的な拍手と手拍子で著者の演奏を迎えてくれたのだという。しかし、
 十年間の文革で、人間の思想、社会の風紀というものが汚れてしまいました。文革が与えた影響が、人の心をねじ曲げたのです。党員というのは、かつてこの国では “信頼のおける人” という代名詞だったはずなのに、いまや党員も幹部も “金、金、金” になってしまいました。  (p.200)
 「共産党配下の中国に、文革前と文革後に違いなどないだろう。どちらも権力と賄賂を独占する邪悪な集団に違いない」 と思いがちなのだけれど、文革前は違うとする、上記のような文章を読むことは多い。特に農村部の党員は、善意の人々が人民の平安を祈ってこそ党員になっていたらしい。ごく一握りの共産党権力中枢と、現在の拝金主義中国を、文革前の農村部の共産党員に充て嵌めるのは明らかに誤りのようである。
 
 
【胡弓奏者の居場所】
 都市部に帰ってからも、著者はアバラ家で芸術活動に専念する日々だった。芸術団員としてどれほど成果を上げても、文革以前のように政治と芸術が一体化してそれを評価する社会体系が機能しなくなっていた。
 私の成功を喜んでくれた人(母親)はもうこの世にいない。それなら、私の才能と努力は祖国に捧げるしかないでしょう。しかし、いまの祖国はもうそれを必要としなくなりつつありました。金になるかならないか、それだけで動いていました。歌舞団も、芸術性の追及より、売れるか売れないかが判断材料というように変わってきていました。
 私の居場所が、またなくなりつつあることを感じていたのです。   (p.219)
 胡弓の胡はペルシャ人の音楽であったことを意味している。日本人の中には、胡弓のルーツに深いつながりを持っていることを深層意識で知っている人々は少なくないのではないだろうか。胡弓奏者の居場所は、拝金中国周辺諸国家の中にいくつもあるはずである。
 著者は1988年に来日し、日本人女性と結婚している。
 
<了>