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 著者は、1934年生まれ、安田財閥一族の方だという。1995年初版。タイトルはややセンセーショナルではあるけれど、本書が最も多くのページを割いて記述しているのは高齢化社会に関するものである。


【21世紀は女の時代】
 20世紀は、戦争と破壊、大量虐殺の世紀であった。それに続く経済成長。戦争をやったのも男たちだし、骨身惜しまず働いて、経済大国、繁栄を作り上げたのも男たちであった。しかし、経済的に豊かになったからといって、人々が幸せになったわけではない。
 21世紀は、平和、安全と協調、共存、協栄の時代、つまり女の時代だと言われている。この観点からすれば、第一次、第二次世界大戦に参戦しなかった国々の方が、先に進んでいることになる。 (p.181-182)
 この書籍が書かれた90年代後半には、21世紀はアナログへ、感性の時代へ、女性の時代へ、共生の時代へ、というような内容の書籍が多く出版されていた。今もそうだろうか?
 しかし、実際に地球全体が、“共存共栄” を実現するのは22世紀になってからではないだろうか。温暖化の危機を叫ぶ一方で、氷の溶け出した北極海周辺では、ロシアを中心に海底資源開発がなお一層のこと進んでいることを、昨夜NHKが深夜番組で放映していた。
 女性が活躍するのに相応しい分野はいくつもあるだろうけれど、地球を救う環境技術を開発してきたのは日本人男性である。消費税率をアップした時に、台所感覚で女性議員が大幅に増えたことがあったらしいけれど、頭数だけ増えても、女性の知性が広範な分野に及んでいなければ、女性の優れた判断力を国政に反映し実現するには至らないだろう。

 

 ところで、著者の論旨に即してであるけれど、世界大戦に参戦しなかった北欧諸国の中で、福祉国家であり高齢化社会を実現しているスウェーデンを視察した内容が記述されている。

 

 

【合理的なスウェーデン人】
 北欧では税金が高いが、高速道路、教育など、無料のものが多いので、日本よりは、豊かな生活ができる。
 北欧は、第一次大戦、第二次大戦とも、参戦しなかった。戦死する人たちが、いなかったので、高齢化社会が参戦国よりも早くやってきた。余った軍事費をどうするかということで、福祉として国民に返すことを、国民が選んだ。
 人手不足から、女性が働きに出るようになった。教育は無料なので、高学歴の女性に国が出したお金を、回収するという意味もあった。こういう発想は、日本にはないの?と聞かれた。
 女性が働きに出ることにより、託児所などが、必要になった。老人の介護をする人がいなくなって、福祉施設が作られた。スウェーデンは、世界中で女性が一番働きやすく、高い地位にもつき、生き生きとしている国です。と市の女性職員が話していた。 
 土地政策、住宅政策が、福祉にしろ、何にしろ、すべての基盤となる、ということで、国に住宅省がある。市は、売り出された農地などを、積極的に買ってきた。ストックフォルム市は、8割が市の土地である。
 住宅は社会の共有財産、という考え方から、百年、2百年持つようにする。住民は高いお金を出して土地や家を買う必要はない。・・・(中略)・・・。土地、住宅政策がしっかりしていなければ、在宅介護など出来ない。
 税金が高いといっても、国や自治体が、それだけのことをやってくれるから、住民たちも納得しているのだろう。日本では北欧の高い税金は、全部福祉のために使われているように思われているが、福祉は、ほんの一部に過ぎない。社会基盤がしっかりしているところに、福祉という花が咲いたのである。  (p.29)
 北欧が福祉国家となっていった、成り立ちの順序が簡略に書かれていて分かりやすい。
 女性の社会進出に関しては、人手不足から必要とされて女性が働きに出るようになった、という点が重要である。抑圧されていたから突破してのし上がったのではないし、男女同権の法整備がなされたからでもない。
 さらに、福祉国家を成り立たせるために、スウェーデンが行ったことが下記リンクに記述されている。これを読まずして軽々たる判断をすべきではない。
            【スウェーデン王国の憂鬱】

 

 

【「聞く」 と 「読む」 とでは大違い】
 北欧は、高い税金をとって、高福祉をたって、経済が破綻しているように、日本では言われているが、社会基盤がしっかり出来ているから、国民の生活は、安定している。生活大国である。教育費や土地や家、老後のために、お金を貯める必要がない。国や自治体がやってくれるから。高速道路も無料である。  (p.32)
 日本で言われていることと、実際に見た北欧の福祉とでは、どうしてこんなに違うのだろう。学者やお偉方など、現場のよく分からない人たちが、視察に来て、自分に都合のよいところだけ、自分流に解釈して、広めているからだろう、というのが、同行した人たちの意見であった。  (p.33)
 デンマークなどの北欧諸国に関する書籍を読むことなどなく、マスコミの語っていた論調しか頭に残っていないだろうから、チャンちゃんと同じように多くの人々にとって、この書籍の記述内容は、驚きに近いだろう。まさに 「聞く」 と 「読む」 とでは大違い。
 著者は、介護の多くは女性の負担になるのだから、女性は、日本の福祉をどうしたいのか、親の介護はどうしたいのか、自分は、どういう老後を送りたいのか、を積極的に発言し、提言してゆくことが大切である、と第1章を締めくくっている。

 

 

【トルコと日本】
 第5章には、著者の海外旅行体験記が短く書かれている。
 トルコ語と日本語とは、同じアルタイ語で、文法が同じ。トルコ人にとって、日本語はやさしい言葉だそうだ。トルコ人は、蒙古語の40%は分かるそうである。トルコは回教国、敬虔なイスラム教徒の国。面積は日本の2倍、人口は2分の1、国民総生産は日本の10分の1。現在トルコからドイツへ、250万人が出稼ぎに行っている。トルコ・リラはひどいインフレに悩んでいる。アメリカ・ドルが使える国である。  (p.189)
 少し前に読んだ、『トルコのものさし日本のものさし』 内藤正典 (筑摩書房)には、このような言語に関する最も基本的なことすら書かれていなかったので、この部分を書き出しておいた。
 

【ウィーンのホーフブルク王宮 と 横浜の神奈川県民ホール】
 ウィーン、ホーフブルク王宮でのコンサート。後の座席だったが、少人数のオーケストラによるウインナーワルツはヴァイオリンも美しく、ブラスの音も程よく、一つ一つの楽器の音が、うまくとけあって、広間にすっと消えていく。素晴らしい音響効果であった。 (p.210)
 ウィーン・フィルの公演を、神奈川県民ホールまで、聞きに行った。S席2万8千円也。二階の中央、前から2列目の席。・・・(中略)・・・。トランペットが2階めがけて吹かれ、大きく響き、ヴァイオリンの美しい音が、かき消されて、2階まで届かない。弦楽器の美しいハーモニーが台無しであった。  (p.212)
 いくらウィーン・フィルでも、S席であっても、日本国内の音響効果の保証されていない施設での演奏公演は、お金をドブに捨てているようなもの、ということらしい。
 
<了>