イメージ 1

 外務省と聞くだけで、傲然とした特権集団という悪いイメージを抱いてしまいがちだけれど、この本の著者は明らかに違っている。素晴らしいドキュメンタリーが綴られている。西暦1998年の出来事である。

 

 

【マーシャル諸島の大旱魃】
 かつて太平洋戦争での激戦地であったマーシャル諸島の大旱魃に遭遇して、即座に対応しようとした著者と、それに応じて3台の海水淡水化装置を空輸して設置した水処理エース株式会社の社員のみなさん。現地の状況を憂えて、打診から設置まで1ヶ月未満という超スピードだった。
 水処理エースの井上さんは、以前からマーシャルでの旱魃に自社の海水淡水化装置が如何に有効に使われるか自分の眼で確かめたいとの希望を持っていた。同社は中近東や太平洋諸国に機械を収めているが、すべてホテルとか工事現場用ものので、旱魃援助は始めてであった。そもそも、日本政府が旱魃のために水を外国に援助することなど前例がないのである。  (p.61)
 3台の海水淡水化装置だけでは、暑い日差しの中、現地の住民が長蛇の列をなしている状態が続いていた。そこで、大きな淡水化装置を追加で1台設置することになった。予算は限られている。
 「6万4千キロリットルの海水淡水化装置は、以前いただいた資料によりますと、5千万円はすると思いますが、わずか1千3百万でいただいては会社は大損害ではありませんか」
 珍坂社長は笑いながら答えた。
 「いいんです。お金は後でついてくるものですから。あのように大勢の住民が水を求めて何時間も炎天下並んでいる姿を見ていると、何とかしてあげなければというのが私たちの気持ちです。それに、マーシャルの人たちに尽くしているのに、大使館の人たちが水を入手できないというのも変な話ですし」  (p.66)
 かっこいい!!!
 後に、マーシャルでの援助がきっかけとなって、水処理エースには、太平洋のあちこちの国から注文がきたのだという。(p.116)
 マーシャルの地元紙に日本の援助に対する感謝の記述が掲載されたのは言うまでもない。

 

 

【アメリカの海水淡水化装置】
 日本より遥かに遅れてマーシャルに援助されたアメリカ製の海水淡水化装置。こんな具合である。
 アメリカの機械が始動を始めた翌日の朝、吉田専門家が私の部屋に駆け込んできた。
 「大使、アメリカの機械からでる水は塩辛くて飲めません。・・・(中略)・・・。人々はアメリカの機械に見向きもせず、依然として日本の機械に群がっています。・・・(中略)・・・。一体、アメリカの技術やサービスはどうなっているのでしょう」     (p.107)

 

 

【マーシャル人】
 私は大和民族の精神構造とマーシャル人の精神構造は、その純粋さと人情の点で非常に似ていると常々感じていた。アメリカ人とは必ずしもしっくりいかないマーシャル人が戦前、戦中の日本人と非常によい関係にあったこともその証拠である。 (p.144)
 日本の敗戦によって、戦後はアメリカが統治したマーシャル領内で、「平和のため」という理由で原爆実験が何度も行われてきた。放射能のため居住できない地域が現在も存在している。

 

 

【日本の技術力】
 水処理エースの珍坂社長は技術に詳しく、私は同社長により、従来自分がおぼろげながら考えていた日本の技術は世界でダントツに秀でているとの確信を揺るぎないものとした。
 世界はこれから技術の時代、それはちょうどイギリスの産業革命に匹敵するような時代に入り、その主役を演ずるのは日本である。 (p.63)
 著者がマーシャルに赴任する前、アメリカにいた頃に体験したアメリカ製自動車や冷蔵庫や印刷機のことが具体的にどのようなものであったか書かれている。
 日本の企業はどの企業も優れた技術力を持った企業ばかりなので、日本に生活していると、日本人はそれが当然のことであって、日本の技術力が秀でているとは思っていない。
 日本の技術力と文化力は、圧倒的に世界一である。日本の技術力が世界を繁栄させ、日本の文化力が世界を平和へと導くことになる。日本に変わってそれを成しうる国家は地球上に一つとして存在しない。
 
<了>