イメージ 1

 表題の芥川賞受賞作の他に、『勤労感謝の日』 という作品が掲載されている。読んだ直後にこれを書いとかなかったから、受賞作の印象を的確に表現できなくなってしまった。なんだっけ~。

 

 

【 『沖で待つ』 : 死んだ太っちゃんとの会話】
 同期入社の太っちゃんと語り部の私。太っちゃんの死という想定がされているにもかかわらず、死んだはずの太っちゃんと私の会話から、ほのぼのとした感じを抱いてしまう。
「だよなあ。冷静に考えたらおまえだっていい年なんだけど、おまえと会うと大学出たてのテンションになっちゃうよな」
「何も変わらないような気がしちゃうよね」
 ・・・(中略)・・・。
「太っちゃんさあ」
「なんだよ」
「死んでからまた太ったんじゃない?」
おまえな、ふつーねえだろ、と言って太っちゃんは笑いました。   (p.108)
 この小説は、ストーリーの含みや心理をあまり深追いせずに淡々と書き綴ってゆくことで、独特な人間ドラマの雰囲気を作り出している。 “書きすぎない良さ” という感じだ。
 それにしても、「沖で待つ」は、死ぬ前に太っちゃんが書き残しておいた詩のようなものの中にあった一文だけれども、作品の現場背景には何の関係もないのである。この本の表紙を担当した人は、何ゆえこのような写真を使ったのだろう。分るような分らないような表紙の写真である。

 

 

【 『勤労感謝の日』 : ブッ飛び記述 】
 かなりブッ飛んだ会話と内面が記述されているから面白いけれど、受賞作に比べると、書きすぎ凝りすぎ作りすぎで、文章の流れが悪い。
 上司をビンでひっぱたいて失業中の主人公女性が、勤労感謝の日に大企業に勤める野辺山氏とお見合いの場面。
 しかし、何を聞けばいいのだ。見合いなんてしたことがない。ギャンブルやりませんよねとか、変態プレイは困りますとか、そんなこと、大事なことだが言えないし。頭の中ではコイツトヤレルカ? という声がする、うーん、極めて難易度が高い。しかし野辺山氏とて、考えていることは私と大差なかった。ただ彼はそれを第一声で口に出してしまっただけだ。
「スリーサイズ教えてくれますか」
「88-66-92」
 野辺山氏はもう一度、にへらり、と笑った。
 エンコーかそれとも家畜市場か。私もよっぽど、ちんこの長さと直径を聞いてやりたかったが、さすがに母と長谷川さんの手前それは慎んだ。   (p.14-15)
 「こんなの、ありいっ!」 って記述だけれど、チャンちゃんは書き間違えていない。原文を正確に書き写している。
 「にへらり、と笑った 」 とあるけれど、外国人留学生には辞書になんか出てないから理解できないだろう。「にやり笑う」と「へらへら笑う」を一緒の笑いとして表現したものである。

 

 

【女って・・・】
「女って考え方のスパンが短いから、次々に目標がないと失速しちゃうんですよね」
 それはあるかもしれない。   (p.33)
 男であるチャンちゃんは、これを読んで、「へぇ~」って思う。
 なら、「男は考え方のスパンが長いから、目標がなくても漂っていられる」ということか・・。
 分る気がする。
 多分、正しい。
 
<了>