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 著者の家の家業は、江戸時代の後期に創業した油商だという。京都に多くの町家を所有するほどに財力のある家系だったらしい。この著書の前半には町家のことが、後半には様々な京文化のことが書かれている。

 

 

【「油を売る」】

 油は水と違ってどろどろとしているため、なかなか一気にはしたたり落ちません。最後の一滴が入るまでゆっくりと話をすることから、「油を売る」 という言い回しが生まれました。今では食品衛生上、燈明用や建材用意外のものは量り売りしないので、「油を売らずに」 油を売っています。 (p.116)
 子供のころ、少々 「油を売っていた」 だけなのに、「鉄砲玉のお使い」 と言われたことがある。「帰ってきたのに・・・」

 

 

【おおきに】

 ほめられたり、ものをいただいたときにうれしい気持ちを表現する「おおきに」は、京都でもよそでも同じですが、誘われたときの「おおきに」はちょっとニュアンスと響きが違います。
 つまり、誘ったときに「おおきに」と言っても、相手は決して了解していないということです。誘ってくれたことに対する「おおきに」ではあっても、いつ行くとか、お断りするとかは言っていないのです。 (p.146)
 ふぅ~ん。
 私はよく、東京の方に 「笑ってごまかす」 と言われてしまいます。あえて角をたてたくないと思っているので、明言していないだけですが、自分の気持ちは決してごまかしてはいないと思っています。
 むしろ私はこう思ってしまいます。私がごまかしているのではなくて、相手の方が、私の態度のなかにあるその意思を汲みきれずに 「ごまかされている」 のではないでしょうか・・・。  (p.147-148)
 これは、外国人に対する日本人の側からの説明と全く同じで、私もよく外国人にそう説明している。けれど、京都人からこのように説明されると、関東人の私はちょっと不愉快。ということは、日本人は世界中からちょっと不愉快がられているかもね。

 

 

【いけず】
 私の考える 「いけず」 は、こういうもの(意地の悪いさま、にくたらしいさま)ではありません。
 共通語で 「いけず」 を説明しようとすると、どうもしっくりくる言葉がみつかりません。あえていうなら 「意地悪」 というより 「意地」 でしょうか。意地悪をするときだけではなく、意地を張るときにも 「いけず」 はあらわれますし、相手に対する自己防衛の手段として、「いけず」 が顔を出すこともあります。
 分ることは分るんですけど・・・。でも、これって、ほとんど果てのないイケズぐちですよねぇ~。
   《参照》  『イケズの構造』 入江敦彦 (新潮社)

 

 

【けだし と たいたん】

 おこうこのたいたん・・・古漬のたくわんを輪切りにし、けだし(水につけて塩分を抜くこと)したのち、味付けたもの。たいたんとはたいたもの、つまり煮物のことをいう。 (p.158)
 二つの単語を覚えたよ~。オカマのはんなりはんになろうかなぁ~。

 

 

【和菓子に秘められたメッセージ】

 たとえば五月のころ、かきつばたの形で、「唐衣」という銘がつけられたお菓子があります。これは 『伊勢物語』 に登場する「からごろも きつつ馴れにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思う」 という 「かきつばた」 という言葉が織り込まれて読まれた歌からの命名です。 (p.160)
 平安時代、貴族たちが和歌を読みあって楽しんだように、和菓子に秘められたメッセージに答えられる素養と心のゆとりを持ちたいものです。  (p.163)
 素養ねぇ・・・・。古典って、中学のときも高校のときも好きじゃなかったからなぁ~。

 

 

【しきたり】

 私たちは、季節の移ろいのなかで、しきたりを通して自然との共存や先祖や神への畏敬の念を表してきました。私たちはしきたりという形を伝承することによって、きびしい季節を無事に乗り越えることを願いながら、目には見えない大切な心を後世に伝えようとしているのではないでしょうか。 (p.179)
 日本文化に思いを巡らせている人々の著書の中で、これと同様な趣旨の記述を目にすることが多い。

 

 

【「ほっこり」する町家】

 町家には、人に癒しを与えるような温かみがあります。言葉ではうまく表現できませんが、これを京都の言葉で 「ほっこり」 するというのでしょうか。 (p.183)

 「ほっこり」 って、なんか、毛むくじゃらのネコを抱いて寝る感じ。
 そこで、チャンちゃんの定義。
 「ほっこり町家は “毛むくじゃらのネコ” である」 (イメージ記憶用)
 
<了>