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 面白い本だ。この本が初版となって、現在は(4)まで出版されているらしい。
 ところで、著者の名前が興味深い。長島は日本列島の地形であり、日本列島は龍体を表している。

 

 

【仕事の目的は、お金?】
 「多分、そのお金というものを得ることが仕事の目的だと皆が思っているうちは、あなたの国の、真の意味での進歩はないでしょうね。仕事の目的は世の中に役立つことです。報酬ではありません。報酬を目的にしていると、必ずどこかに歪みが生じてきます。自分の行った仕事以上の報酬を得ようとしたり、必要のない仕事を無理に作って、自分の利益だけを確保しようとする動きが出てくるでしょう。そうなると、完全な競争社会になります。それもお互いの向上を目的としたものではない、単なる足の引っ張り合いになるはずです」  (p.37-38)
 
 普通のやや良心的な日本人は、この文章をやや自省的な心境で読むのだろうけど、欧米で発展してきた経済学の立場に狎れきっている人ならば、これを当然のこととして読むのだろう。
 経済学の立場で言えば、人間にとって必要ある仕事かどうかという問いは完全に不問である。経済行為としてスクラップ・アンド・ビルドは社会にお金を循環させるための当然の行為なのである。だから戦争は経済行為として計画されているのである。ましてや人命尊重という視点で語られる倫理問題などではない。
 『お金のいらない国』 では、「戦争」 という言葉が全く想定されていない。いや、想定しようにも、想定できない世界なのである。

 

 お金を、人体に流れる血液に例えて語ることがある。しかし、現在の世界経済のマネーの動きは、月に連動して動く体液(血液)のような自然のサイクルとはかけ離れてしまっているのだから、もはやその喩えは不可能だろう。いや、脳梗塞、貧血、血液ガン、その他、ありとあらゆる血液関連の病気に罹った人体、というマイナスの喩えなら、正に現在の世界経済にピッタリ当てはまるかもしれない。

 

 現在の政治家に、世界の歪みを正そうとする気概はあるのだろうか。あるどころか、金融で庶民を支配して勝ち組に入ろうとするWBS関連の輩に同調する政治家が増えるだけではないのか?

 

 『お金』。 
 これこそドクサ(臆見)によって生み出されたものに違いないのである。
 ドクサを超えたところに、『お金のいらない国』 が出現する。
 日本は、それを成しうる世界で唯一の国であるはずなのだけれど・・・・・
 
<了>