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 東京日日新聞(現在の毎日新聞)の浅海記者の書いた「百人斬り」という記事が元になって、野田少尉、向井少尉の2人が南京軍事法廷で裁かれ銃殺された経緯を書いた本。
 2人の少尉の死刑は冤罪であったと争う裁判を支援するために書かれた本のようである。

 

 

【「虐日日本人ジャーナリスト」 と 「反日中国人」 の最強タッグ】
 「百人斬り」 は、戦意高揚のために安易に書かれた話題作成用の記事だったようであるけれど、戦争中の当時、この記事内容は事実であるかどうかは度外視されて、武勇伝のように日本国民に読まれていたらしい。
 極東軍事裁判(東京裁判)への起訴を巡ってのパーキンソン検事による取調べでは、起訴対象にならなかったのに、後に南京軍事法廷で2人とも銃殺刑となった。中国政府が、浅海記者の書いたこの記事を徹底的に利用し、日本断罪行為を貫徹させた経緯がわかりやすく書かれている。
 しかし、奇妙なのは、これを書いた日本人の浅海記者のその後の出世ぶりである。浅海記者以外にも、朝日新聞の本多勝一という事実確認も行わず日本人の残虐行為を書き綴った朝日新聞ジャーナリストの恥知らずな報道態度も分かりやすく書かれている。
 戦争直後の国際法廷は、東京であれ南京であれ、戦勝国側の意のままに行われてきたことは事実である。反省好きな日本人が唯々諾々と裁判結果を受け入れていても、冤罪として裁かれた遺族の気持ちは納まる場所がないだろう。
 私は、歴史にそれほど興味があった訳ではないけれど、中国人の実態を知るに及んで、かつての戦争期間中の日本軍に対する誹謗中傷が、必ずや度を越したものであるに違いないと、確信するようになったのである。
 私自身の中国体験と同じことが書かれた本は、今日の日本ではかなり多く出版されている。以下の記述もその一部である。

 

 

【 『暗黒大陸中国の真実』 】
 百人斬り訴訟を支援する会、会長・茂木道弘さんの記述より
 1930年代の初め頃、中国に外交官として赴任し、福建省で福領事を務めたラルフ・タウンゼントが書いた 『暗黒大陸中国の真実』 (芙蓉書房出版) がこのほど出版された。この本を読むと当時の中国と中国人の実状がよく分かる。
 ウソを平気でいい、そのウソがばれても恬として恥じることのないのが中国人であるということを身にしみて知ったラルフ・タウンゼントは、呆れるような事例を挙げながらその実態を力説している。是非とも読んでいただきたい本である。当時のといったが、実は現在の中国人を知るためのまたとない参考資料なのだ、要するに中国人は少しも変わっていないからだ。 (p.90)
 最近の中国旅行用のガイドブックには書かれているものもあるけれど、中国人に道を尋ねても、日本人のように、知らない場合、「知らない」 と正直に答えることは決してない。知らなくても必ず堂々と “嘘を教える” のである。私は2度尋ねて2度嘘を教えられた経験をしている。
 アメリカの図書館では、近年、貸し出し図書の散逸が激しく、東洋人の貸し出しが制限されていると伝えられている。学生用のIDカードがなければ入れない東京大学図書館内でさえも、紛失図書が相次いでいるという。中国人に関しては学歴の高低に関わらず、日本人のモラル感覚の外にあるということは、肝に銘じて知っておかねばならないことである。

 

 

【侵略の歴史】
 東京大学教授・酒井信彦さんの記述より、
 中国共産党はかってのソ連と同様に、他民族を侵略支配する侵略国家であるから、明らかに悪の帝国である。日本の26倍、全ヨーロッパに匹敵する中共の領土の半分以上は、実はチベット・ウイグル・モンゴル三民族の土地であるが、シナ人に侵略・併合されているのである。
 したがってソ連が解体したように、解体・消滅するのが歴史のあるべき流れである。この不当極まる現実を、虐日日本人を含めて殆どの日本人は全く直視しない。それどころか、現役バリバリの侵略国家に、歴史問題を理由にして迫害・恐喝され、それにだらしなく屈服し続けているのだから、その無様さは例えようがない。 (p.102)
 侵略の歴史というより現実を清算しなければならないのは、まさにシナ人の方である。シナ人による日本に対する誹謗・中傷・罵詈・雑言は、シナ人にこそ何万倍も当てはまる。現在における人類最大の敵であるシナ侵略主義の打倒・撲滅こそ、正義の中の正義であり、それは日本民族に課せられた崇高な使命である。 (p.105)
 この日本民族に課せられた使命という表現に、頬が緩んでしまうのだけれど、これは必ずしも闘って撲滅することを意味してはいないと思う。
 今日の日本は、戦わずして勝つことが可能な位置にある。中国の暴走に対する備えだけは万全にしておかねばならないけれど、後は、中国が崩壊するもしないも中共の出方次第である。日本の資金力と技術力なくして中国の持続可能な発展はないのだから。
 
<了>