芸のないタイトルである。エンターテイメントを演出している会社のスタッフによる著作のタイトルとは思いがたいが、あえてこうしたのであろう。
このエンターテイメント施設に関しては、既に様々なビジネス報道や書籍で扱われているので、私にとって真新しい内容は殆どなかった。
【ディズニーランドの理念】
『ファミリーエンターテイメント』です。『夢と魔法の王国』ではありません。もしも、『夢と魔法の王国』が理念であったとすると、今ある水飲みの施設が、わざわざ親と子どもが互いを見つめあいながら飲めるような仕組みで設計されなかったはずです。 (p.18)
私はディズニーランドには7年ほど前に1回行ったきりなので、実状は詳しくない。そもそも現地に行きながら、ビジネスの視点で施設の詳細を観察するといのもかなり野暮なことではある。
【ディズニーから学ばない人たち】
日本発のテーマパークがことごとく失敗したのは、ことごとくソフトの構築段階で手を抜いたから。 (p.59)
そうなのであろうが、決して手抜きをしないという完璧主義は、莫大な資本を必要とする。仮にソフト構築に必要な資金を潤沢に供給できたとしても、ディズニーのようなキャラクター・ブランドがなければ、成功はおぼつかないはずである。
キティーちゃんブランドを確立したサンリオは、ディズニーを尊敬し、多くのノウハウを学んでいるはずである。サンリオ・ピューロランドは素晴らしく健闘している。これからは、日本文化が世界に拡散してゆく時代である。艶やかな着物を纏ったキティーちゃんが、世界中で愛されるようになるはずである。
【非日常空間を演出するために】
お弁当の持込は禁止していないが、非日常空間維持のため、持ち込んだお弁当を食べる場所は、ピクニックエリア内に限定しているそうである。なるほど。
ディズニーランドの地下に張り巡らされた通路のことは、ビジネス業界では有名である。補給のための人員や車両が園内を行き来していると、非日常空間を台無しにしてしまうので、各販売施設などへの補給は、すべて地下から行われる。
【非日常なる 『ユートピア』 と 『デストピア』 】
『アメリカン・ディストピア』 宮台真司・神保哲生 (春秋社) という本の中では、各施設から必ず見えるように設計されているシンデレラ城を中央コントロール参謀本部に、ディズニーランドの地下に縦横無尽に張り巡らされた通路のことをアメリカの悪しき軍事・情報網に譬えて書いていたけれど、そこまで語るのはどうかと思い、読書記録の中には書き出さなかった。
このことを思い出した今、思うのだけれど、ディズニー世界も戦争世界も、非日常を想定していることに変わりはない。確かに両者を、非日常という言葉に重ねて見ることはできる。しかし、この両者を同一の地平に置くことはできない。
喜びや幸せを目的とする場合を演出といい、悲しみや不幸を顧みることなき場合を謀略という。アメリカという国は、そもそも光と闇のコントラストが強烈な国なのである。もともと生と死を司る国なのである。ディズニーの世界は、決してアメリカン・デストピアではない。
<了>