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 呉善花さんが、「親日的な内容の著書を出版した後に、韓国人の集団に取り囲まれて脅迫やら詰問やらをされ続け、ノイローゼになりかっかった」 とご自身の本の中に書いていたが、このようなタイトルを見ただけで、短絡プッツンが得意技の韓国人は、著者を集団リンチにしたがるのではないだろうか。
 しかし、この本の内容は親日でも反韓でもない。普通の韓国文化論である。「私が韓国をキライだと言うのは、もちろん、韓国が良い国になって欲しいためにほかならないが、この逆説がどれほど理解されるかについてはまだ自信がない。」(p.220) と、あとがきに書かれている。


【辛くてしょっぱいは誠意のなさ?】
 韓国では、なぜこのように味が画一的で、辛くてしょっぱいのか?それは、材料不足と誠意のなさを隠すためなのだ。 (p.25)

 これは、度を越した批判だろう。日本も韓国も戦争以前は貧しい国家だったことにかわりはない。食材が豊富ではなかった時代の食生活は、過剰な刺激物、偏った味付けとなることは、世界中の食文化発展過程を調べてみれば共通することである。現在の冷蔵庫のような保存機器がなかった時代は、保存あるいは罹病阻止のために、過剰な香辛料、唐辛子や塩を用いたのである。また亜熱帯地域や水が豊富ではない地域では、殺菌あるいは腐敗防止のために、油を用いて高温加熱殺菌する調理方法が定着したのである。
 ゆえに、著者の「誠意のなさ」という韓国批判は的外れである。日本だって経済発展以前は、しょっぱい漬物くらいしかなかったのである。


【韓・日・台の男性比較】
 韓国の男性は高く評価されることが多い。まず男らしい。金ばなれがいいし、機嫌が悪いとちゃぶだいをひっくり返し拳を振り上げる。本当に迫力満点だ。それに比べると、台湾や日本の若い男性は一言で言っておとなしい。 (p.33)

 著者は、台湾と日本の男性を同列においているけれど、これは明らかに違っている。台湾の男性は女性に対してかなり優しい。付き合う期間がそれほどなくて台湾人男性と結婚した日本人女性が、結婚後に「男性がすっごく優しい」と言っていたし、私の見てきた範囲でもその通りである。韓国と台湾を両端にして、日本はその中間程度だろう。


【台湾を賞賛する】
 1963年、私たちが始めて経済開発5カ年計画を開始した時、かなりの資金を貸してくれた国が台湾であったことを思い出すがいい。 (p.46)

 他国からの援助を正直に認め表現する態度は良識的である。日本からも少なからぬ援助がおこなわれているのだから、書いて欲しかった。 (日本から韓国への援助の具体例は、 日韓政治経済 というフォルダーを見ていただきたい。)


【セックスもひとつの産業だ???】
 韓国は、大都会の一部の区画には遊郭が割り当てられている。つまり、黙認された私娼や享楽文化が産業として立派に存在しているのだ。その事実を認めるのなら、その部分を経済理論でもっと発展させればいい。 (p.152)

 これはいけない。韓国人男性である著者の驕った考えではなかろうか。
 私とて、経済の分野でも長所進展法が有効であることは知っている。また韓国の歴史に刻まれているキーセン(官伎)のことを知らないわけではない。著者が日本統治以前の韓国のキーセンにまつわる歴史を知らないということはなかろう。韓国は大国・中国に隷属しつつ国家の安定を計るために、キーセンを輸出してきたのである。産業のない時代だったのだからキーセン立国であることもやむをえなかったのである。しかし、著者はそんな時代の女性の立場で人生を考えたことがあるのだろうか? 韓国に存在していた儒教道徳の最も悪しき側面に気づけてはいないのではないか。ゆえに私は、著者の上記の記述を、「韓国人男性特有な、愚者の驕り」であると判断する。
 世界は明らかに良識ある気高い精神性に向かっている。セックス産業を温存するような国家は間違いなく衰退してゆく。それがアクエリアン・エイジ(宝瓶期)の象意である。


【言葉が誘う韓国の衰退】
 こんな国民に向かってマスコミは言う。韓国は文盲率が低くて教育熱心だから、先進国に比べて文化水準は劣らない、と。まったくおかしな話だ。ハングルは諸外国語と比べて相対的に習いやすい。単語の数も少ないし、表現の方法も単純である。 (p.168)

 単純な言葉は単純な世界しか描けない。それは韓国発展の限界を意味している。日本文化は世界中の他国の文化に比べて異質であると勘違いされやすいのは、日本語が外国語に比べて極度に繊細な表現を持っているからである。

 

   《参照》   日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】

 



【20万人の入れ替え】
 アメリカでは、大統領が変わると4万人相当のポストが入れ替わると言われているが、それが韓国では、さらにその5倍の20万人にのぼるといわれている。 (p.184)

 著者は、この文章の後に、「だから韓国では、政治的国民にならざるをえないのだ」と書いているだけである。著者の気づけていない、韓国衰退の主要な原因は、ここにあるのである。
 このような過度な人材の入れ替えは、ひど過ぎる。これでは大統領選が地方対地方の戦争のようにならざるをえないであろうし、長期的な成長を計画する優秀な企業など韓国には存在できないだろう。IMF体制下を経験したことのある韓国でもあるのだから、優良企業は必ずや脱韓国を企てるはずである。
 三星(サムソン)の創業者の企業理念の中心には、「報国」という言葉があったことを知っている。そのサムソンですら、このような国家であるならば、必然的に韓国からの脱出を企てるようになるだろう。
 戦後、韓国に経済援助・技術援助し続けた日本に対して、「感謝」 ではなく 「反日」 という無礼で報い続けた韓国は、次に 「報国」 を企業理念としていた自国企業にも 「反国家」 の無礼で報いることだろう。
 私がとやかくいうことではない。韓国のご随意である。


【読者のレベルと書き手のレベル】
 著者は、韓国では本を読む人口が余りにも少ないから、私のような物書きがそれだけでは生活できない、と書いている。
 日本人は、このような記述から、「反日」で団結する韓国の国民は、反日で統一された国定教科書以外、いかなる知識もない、この上ない愚民の国家であるということを知ることができる。
 読者の知的レベルが低いということは、必然的に書き手のレベルもそう高くはならないという結果を導く。著者には申し訳ないが、私のような民間人でも、著者よりマシな韓国論を書ける日本人ビジネスマンは、おそらく優に100人以上はいる。

 

<了>