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 『古事記』の一部、神武天皇に関わる部分だけを抜き出して、現代語に翻訳した薄い本である。出版社が産経新聞社であることに気づいて、さすがはエスポワール産経新聞であると思う。
 エスポワールとは、戦後間もない頃、「日本は侵略戦争を行った犯罪国家である」とする論調の中で、それに異を唱える良識派の国士達が集っていた場所であると聞いている。その人々が、産経新聞を興したのだと云う。


【神武天皇】
 日本初代の天皇とされる神武天皇が、日向(現在の九州・宮崎県)から大和(現在の奈良県)に到着するまでの過程が描かれている。
 幼名は生まれた場所に因んで狭野命(さののみこと)と言われ、長じて神倭伊波礼比古命(かむやまといわれびこのみこと)とも言われました。神武天皇というのは、死んでからの諡(おくりな)です。


【行程】
 現在の地名で神武天皇の行程を辿ればこうなります。九州の宮崎県を出発し~大分県(宇佐)~福岡県(岡田)~広島県(呉)~岡山県(高島宮)~大阪府(難波)~和歌山県(熊野)~奈良県(大和)です。


【八咫烏(やたがらす):北朝鮮と同じ?】
 八咫烏は、3本足のカラスの絵として描かれています。和歌山県の熊野本宮大社に行けばこの絵を見ることが出来ます。日本サーカーJリーグの公式フラグにも描かれています。
 日本にいる韓国の青年達は、このフラグに描かれ八咫烏を見て異様に思うそうです。なぜならば、北朝鮮の象徴として用いられている絵と同じだからだそうです。


【ひとつの推論】
 古事記の中には日本と北朝鮮との繋がりは何も書かれていません。しかし、私なりに考えたことがあります。
 これは、あくまでも私の考えですが、神武天皇が生まれた日向に関わる部分には隼人一族という単語が記述されています。この隼人や八咫烏など、鳥に関する名を持つ人々は、遠距離の移動を得意とした人々であったと考えられます。古代の九州は朝鮮半島と同一文化圏でしたから鳥の名を持つ人々は朝鮮に関わりのあった一族であったかもしれません。後述するように、隼人や八咫烏を、神武天皇を補佐していた一族と考えるならば、朝鮮との関係を考えることは可能でしょう。
 下記の著作には、日本と北朝鮮(高句麗)の関連が書かれています。
   《参照》  『空海さまと七福神が隠して伝えた「世界文明の起源」』 上森三郎
            【中国・千山の九福神と日本の七福神】
 以上はあくまでもひとつの推論です。

 いずれにせよ現在の共産主義国家・北朝鮮と日本のJリーグには何の関係もありません。


【神話の類似は共時性による】
 世界中で語り継がれて各地に残っている神話を詳細に調べてみると、類似したケースは数多あるそうです。
 『古事記』 と 『ギリシャ神話』 の類似は有名な学説として存在しています。朝鮮神話と日本神話に類似した箇所も当然のことながら存在しています。この様な類似があったとしても、なんら不思議はありません。
 これらの世界の神話に遍在する類似は、「共時性」 による現象であるという考え方もあります。


【『古事記』の中の八咫烏① 】
 日本の神話『古事記』の中で、八咫烏は2回登場します。
 神武天皇が、安芸(現在の広島県)に立ち寄ったとき、この辺りで人々を苦しめている悪者を戦いました。その時、八咫烏が大和から飛んできて神武天皇に加勢したと書いています。
 著者は、先遣隊として大和まで先に行き飛ぶように返ってきた人々のことではないかと書いています。現在の呉市宮原には八咫烏神社が今も鎮まっています。


【長髄彦(ながすねひこ)】
 瀬戸内海を航行してきた神武天皇は、現在の大阪府難波に上陸し、長髄彦と戦うことになります。しかし、「われわれは日の神の子孫であるのに、日に向かって矢を射かけ攻めたのが間違いであった。だから敵の矢に当たってしまったのだ。これからは、遠回りしてもお日様を背に受けて戦おう」 ということになりました。
 神武天皇の兄である五瀬命(いつせのみこと)は毒矢に射られて死んでしまいました。一行は、紀伊半島沿いに船で南下し、和歌山県の熊野に上陸しました。そこからは陸路、険しい山中の道を北に向かって大和を目指しました。


【『古事記』の中の八咫烏② 】
 熊野に上陸した神武天皇は、夢うつつに高木の神に出会いました。この神様に、「天神の御子よ、・・・ 今、天から八咫烏を道案内としてさしむけます。その八咫烏がとんでいく方向へおすすみなさい」と告げられたそうです。こうして、神武天皇は、大和に到達することができました。
 八咫烏とは、神武天皇を導いた霊烏なのか、あるいは、補佐した一族ということなのか、真実は不明です。 

 

<了>