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 20世紀前半の日本で活躍していたヴォーリズ氏。しかし、地元近江の人々以外の日本人は、この名前を全く聞いたことがないのではないか。チャンちゃんも同様である。明治、大正、昭和にかけて地元の近江や日本に多大な貢献をしてくれていた方である。
 この書籍は、ビジネス書というよりは、社史として記述されたかのような書籍だった。昔の珍しい写真がたくさん掲載されている。


【メンソレータムの販売から】
 1880年生まれのヴォーリズ氏は、25歳の時、英語教師として来日し、その後、建築事業を起し、やがてアメリカ製のメンソレータムを販売する代理店として製薬事業を始めて多くの財をなし、それが近江兄弟社に至ったそうである。


【キリスト精神】
 日本の信仰家は、自己を掘り下げて崇高な人生観を築き、清貧な思想を良しとしていたので、人々の心を救済してはいたが、それだけに留まっていた。
 これに対して、熱心なクリスチャンであったヴォーリズ氏は、稼いだお金は、世のため人々のために尽くす元手とすることであり、自己を犠牲にしてでも社会に奉仕することが、「神の事業」 であり、「信仰の証し」 であると考えていたそうである。 
 社会資本の行き届いた現在の世界で、個人の思想として、“清貧の思想” を語っても決して間違いではなかろうが、社会人の思想としては、ヴォーリズ氏のように、“清富の思想” の方がより正しいように思う。


【税制と奉仕】
 ヴォーリズ氏は、免税措置にしっかりと手をまわしていた。兄弟社から学校や病院や教会などへの寄付金は、課税の対象にならないよう、国税庁に特例的に認めてもらっていたのである。(p.166)
 寄付金を課税対象にするかしないかという税制上の扱いは、日本と西欧諸国では異なっている。日本も、西欧的な措置が講ぜられるようになるであろう。税金として徴収されても、官僚に任せると天下りの原資として横領されてしまう現在の日本である。


【設計者としてのヴォーリズ氏の足跡】
 大阪の大同生命ビル、大丸心斎橋店、東京の山の上ホテルなど、日本近代建築史に燦然と輝く建物は、ヴォーリズ氏の設計であるという。
 それ以外にも、大学では、関西学院、西南学院、同志社大学、神戸女学院、国際基督教大学、明治学院、東洋英和女学院、さらに、日本統治下の韓国で作られた名門・梨花女子大学までもがヴォーリズ氏の設計だという。
 ヴォーリズ氏自身、自ら設計した明治学院大学のチャペルで、日本人の一柳満喜子さんとの結婚式を行ったそうである。
 ヴォーリズ氏の行った建築事業を追ってみると、キリスト者の連携の強さが伺われると同時に、日本の大学教育にまで及んで、キリスト教精神は日本に多大な貢献をしてくれていることに気付く。 


【マッカーサー元師 と ヴォーリズ氏 と 昭和天皇】
 ヴォーリズ氏は、戦争突入前に日本人に帰化したものの、戦争中は敵性外国人として官憲につけまわされ、他の在日外国人と同様に軽井沢に幽閉され窮乏を強いられていたそうである。
 にもかかわらず、ヴォーリズ氏は、天皇の戦争責任回避のために、「死んでもよい御用」 とばかりにマッカーサーのもとへ行き、会談したそうである。
 夫人が華族出身という縁もあったであろうが、「クリスチャンであったヴォーリズ氏が、自らの危険をおかしてまで、日本神道の頂点である天皇を守ろうとした」 という事実は、理解しにくいであろうか?
 そんなことはないと思う。ある特異点にまで至らぬ未熟な信仰者は、宗教の違いに囚われ容易には共通点を見出しえないのである。成熟した信仰者であるならば、繊細な波動帯域で、異名同体の神霊界を体感して知っている。
 ヴォーリズ氏の足跡をすべからく辿ってみるならば、彼自身が、正神界のミッションであったに違いないことを知ることができる。

 

<了>