追悼 木村拓也さん | 信州日誌

いままで、思いをためていたというか、言葉に出来ませんでした。今なら書ける気がします。たとえ、つたない内容であっても。


木村拓也氏 プロ野球東京読売巨人軍1軍内野守備走塁コーチ 4月7日、くも膜下出血により逝去 享年37


タクちゃんが倒れたというニュースを見てから、僕は最悪の事態を想定していました。たとえ事務職でも大学病院の救急救命センターに勤務経験があるから、この状況なら結果はこうだろう、という経験上の予測がありました。ただ、世の中は「『絶対がない』ことが唯一の絶対である」から、うれしい万が一も期待していました。しかし、他人への期待ほど無為なことはないのも事実です。


そして、訃報を聞きました。事実を正面から受けとめられない、いや、受けとめたくない自分は、彼のニュースを見聞きすることで、自分を納得させたような気がします。そういう、「外側からの封じ込み」が重なれば、事実を受け入れざるを得ないだろうと、敢えてそうしたのでしょう。


タクちゃんは芸能界のキムタク・木村拓哉や同じくSMAPの中居正広、大相撲の貴乃花親方と同い年、そして僕とも同級生でした。僕自身、人生の直線道路から脇道に入ったこともあり、彼のように地道に力をつけて一線に立つ人が好きでした。生き残るために投手以外のポジションを経験したのは逆にスペシャリストにはなれないのと同義です。確かに二塁・木村拓のオーダーは若手の脇谷よりは安心できるものの、盤石ではなかったと思います。しかし、プロ野球という厳しい競争社会において「自分を活かす」ために必要なこと、それを優先すれば、ゴールデングラブ賞と無縁でもよかったのだと思います。


なにより、敗色濃厚の最終回でも、タクちゃんがネクストバッターズサークルで準備をしているのを見れば、「(鈴木)尚広、タクちゃんまでつないでくれ。そうすれば必ずサヨナラまで行ける!」と思っていました。タクちゃんまでつなげば、最低限フォアボールかシングルヒット、場合によってはタイムリーでクリーンアップにお膳立てしてくれる信頼があったから。彼の通ってきた道を鑑みれば、そういう気持ちが湧いてくるのでした。


「派手さはないけど、ユーティリティプレーヤー」、僕自身も仕事上そういうポジションをよく経験していました。困ったときにヘルプで呼ばれることも多かったし、だから、タクちゃんのように「いつでも、どこでも、役に立つ」という姿勢で、普段から努力を重ねているところに頭が下がりました。憧れというより、共感か、もしくは、シンパシーなのかもしれないけど、タクちゃんが好きでした。何より彼の信頼され愛される人柄は充分伝わってきたし、ひとつの目標であったと思います。


引退し、コーチ就任が伝わってきたとき、自分の年齢を考えました。僕も組織内にいれば、同じ立場となる頃なんだろうなと、そして、タクちゃんなら次世代を担う素晴らしい選手を育ててくれるだろうと、思いました。立派な選手から素晴らしい指導者へ、いずれは名伯楽にもなってほしい、彼ならそれが出来ると思いました。そうやって、僕らの世代を牽引してくれるのだろうと。


盛りを過ぎようとする桜の花びらが夕刻の薄墨の空と混ざる今頃、筆を執る覚悟をしました。なにか自分からアクションを起こそうと、彼に感謝を伝えようとそれだけの気持ちで今、書いています。自分のブログをアップすることしか、その程度しか今の僕には出来ないでしょう。でも、何もしないより、中途半端で終わっても前向きに倒れた方がいい、そう思っています。


もう一度、木村拓也さん、本当にありがとう。あなたは、歯車がかみ合わなくなった巨大集団に飛び込んできて、それを直し、有機体としてよみがえらせるために尽力してくれました。尊敬に値し、記憶に残ることでしょう。でも、あなたはそういった大袈裟な褒め言葉より、わずかな謝意を伝えるだけで充分わかってくれる人だと思います。だから、本当にもう一度、


ありがとう、タクちゃん。


                            2010年4月10日 ちゃんば拝