こんにちわ!ひとみです。

今回もよろしくお願いいたします(*^-^*)

今回は心理学と宗教について
書いていきたいと思います。

わたし自身は
特定の宗教に入信していることは
ありません。

所謂日本人的なやつです(笑)

また、
どなたかの入信していらっしゃる
特定の宗教について

非難するつもりはありません。

誰が何を信じるのかは
人それぞれだし
それによって
自分が自分らしく生きていけて、
生き易くなっているのであれば、

それもよいと思います。

ただ、
昔からある宗教は
どちらかというと
生活規範的な要素が強いと思っています。

仏教にしても
一生懸命お祈りすることで、
自分が死んだ後に安らかに過ごすことができる。

チベット密教にしても、

まだ見たことのないあの世に対して
どう対処するのかを
シミュレートすることだと
言っています。

日本でも増えてきた
ホスピスのような
終末医療の現場に

宗教的なものが入っているのも
そのためだと思います。

また、
目上の人を敬う気持ちであるとか
自分よりも弱いものを守る気持ちであるとか、
規範を犯して他人の物を奪うような行為を
禁止していたわけですね。

つまり宗教は
一つには、
行ったことのない死後の世界に対する不安や怖さから
守る
ためのものであります。

瀬戸内寂聴さんは
ご自身が「あの世」に行かれたことがないので、
どんな世界かわからない
といいますし、

死んで戻ってきた人って
オカルトの中でしか聞いたことがないので、
わからないですよね。

以前にお坊様にお話しを伺ったことがあって、
そのお坊様の息子さんのお話でしたが、

その息子さんも
お坊様になられたそうです。

その息子さんは
喘息を患っておられて、
一度発作を起こして「死にかけた」経験があるそうです。

結局一命をとりとめ、
今でも活躍されているのですが、

死ぬこと自体は何も怖くないけど
今持っているものを失うことが
怖かったと仰っていました。


「死」についての研究をされていた
キューブラー・ロスという方がいます。

 

 

 

 

こちらは心理学のほうですね。

でも、その研究の発端は
チベット密教にあって、

自分が死んだ時にどうなるのかについて
予習できていることが
大切なんだそうです。

心理学では
死に対する恐怖などを研究したり、
どのようにそれを克服していくかなどについて
研究することはできますが、

臨床心理であっても
自分が死に向かったこともないのに
これから死に向かっていこうとする人に対して
心理支援がどこまでできるのか
って感じます。


そこには
何らかの宗教性といったものが
今でも大切
なんだと感じます。

もう一つ宗教性が担ってきたものは、
その地域や集団の中で生きていくうえでの
規範を作るものだということです。

例えば、
あるネイティブアメリカンの集団では、
「物を所有すること」は
とても格好悪くて恥ずかしいこと
だとされています。

個人の所有物を
持ってはいけないという規範があるんです。

子どもも集団の中で生きているので、
お父さんとかお母さんという存在はありません。

ただし、
近親相姦は認められていないので、
誰の子どもであるかは
はっきりしています。

お父さんもお母さんもいないので、
子どもたちは自分の好きなところで過ごします。

その場所を提供する人も、
他人の子どもであろうと
自分の子どもであろうと
分け隔てなく面倒を見ます。

結婚という概念もなくて、
もちろん貯金や備蓄もない。


備蓄は集団でおこなうものであって、
狩りなどをして
たくさん手に入ったときは
皆で備蓄して
困ったときには皆でそれを所有する。

貯蓄してしまったような
「規範を犯した人」は
集団から追放される決まりになっているようです。

もちろん
日本と欧米とか、
韓国や中国なんかとも
規範の形は違うし、

規範なので、
どれが正しいとかはありません。


でも、
その集団の中でうまくやっていくための
ルールのようなものを
宗教は担ってきたのです。

ただ、
そこが行き過ぎてしまうと
カルト集団であったり、
洗脳じみた困った宗教が発生してしまいます。

以前にも書きましたが、
自分で考える力を奪ってしまうほどの何かは
百害あって一利なし
なので、

宗教との付き合い方には
コツが必要なんですね。

心理臨床も同じで、
心理相談に来られた方の代わりに
何かを教えて解決してあげることは
心理支援とは言いません。

人は誰でも自分の力で解決していくことができる
ということを信じています。


心理学は宗教を否定していません。
心理学の父だといわれているフロイト
ユダヤ人であったので、

ユダヤの教えの中で育ってきました。

ユングはかなり宗教色が強く、
仏教にも精通しておられ、
自ら曼荼羅などを制作されていました。

神話や昔話に
人の生きる道や精神的なよりどころを
見つけておられたようです。

やっぱりここでも、
オカルトと、宗教とは
しっかりと分けて考える必要があるなぁ、と
改めて書きながら感じていました。

…さて、だいぶ長くなってきましたので、
続きはまた明日~。

あなたの幸せの形を
教えてくださいね!

そして、今日が
ハッピ~でラッキーな日で
ありますように♡

ここまでお付き合いいただきまして
ありがとうございます

コメント感想大歓迎です!
よろしくお願いいたします。

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