新聞に牧口先生と村井先生の教育論の話が載っており、思いがけず大学時代の復習ができた。
教育の出発点は、「人間」をどういう存在として捉えるかという人間観にある。人間観が曖昧なことは、目的地の定まらないまま歩いているようなものであると。よく聞いた話である。
ついでに、人間観は教育を行う上での地図ではあるが、ガイドブックではない、ですよね?
人間主義の教育は、子どもを善く生きようとする存在として捉える。性向善説。それは価値創造力を高めるとの牧口の教育観と同じである。
それにしても、村井先生はなぜいつも信じられないくらい遠回しで煙に巻くような言い方でそれらを伝えようとするのだろう。むずすぎ。
私が謎に思うのは、創価教育は今の私たちの実践のための具体的で理論的な指針をくれない。あくまで精神論と思ってしまう。
人間観の素晴らしさはよくわかる。価値創造という理想は素敵だ。しかし具体的ではない。どうしても信仰次元だ。
それに比べて、おなじ理想を理論的に役立つように教えてくれている教育論は案外あると思う。
アドラー心理学は私の実践に確かな指標をくれた。子どもの適切行動に注目する。信頼し、勇気づける。行動理論に基づいていると同時に力強い人間観がある。そして応用力があるというか、すべての場面に一貫性をもたせる基盤になりえる。
人間主義的、ケアリング的教育論を、あらゆる場面で、どのように運営できるか。
私は確かな指針がほしい。すぐ道に迷いそうになるので。
要するに、ガイドブックは自分で探せ、ってことですね?
