昨日、「将棋は質の勝負だ。だから楽しい。」ということを書いた。
昨日の話題が今日の話題を連れて来て、今日もブログのネタがある。
ありがたいことだのう。
将棋は王様を取るか取られるかしかないのだが、一つだけ例外がある。
それが、相入玉(自玉が敵陣にいること。敵玉も自陣にいること)の際の24点法である。
お互いの玉が入玉して、詰まない時に、大駒(飛角)=5点、小駒(金銀桂香歩)=1点と計算し、24点に満たない場合は負けとする、というルールである。
将棋という競技は、チェスと違って、駒一つ一つの働きが弱いため、駒の働きの効率性が重視されると言われる。
また、持ち駒の再利用という制度が、更にそれを加速している。
将棋の形勢は、見る人によって違うように、必ずしも駒得が有利ではなく、そこに複雑微妙のことわりがある。
それが、急に、お互いが入玉して詰まなそうになった時に、駒取り合戦が始まる。
よく、プロの将棋でも、その辺の駒取り合戦を「200手超の熱戦」みたいに書くことがあるが、ギャラリーとしては、まったく面白くない。
武蔵と小次郎の斬り合いを見に来ているのに、急に泥んこのなかで素手でつかみあって格闘するみたいな。
見ていて見苦しいし(当人達は真剣になので、その辺を侮蔑しているわけではない)、何より美しくない。
将棋の駒の性質からいって、駒は前に前に進むようにできているから、一度取り逃がして入玉させてしまうと、ほぼ勝ちはなくなる。
なら、お互いが玉を取り逃がしてしまって、決着がつかない時に、なぜ引き分けにしないのか、と思ってしまう。
点数法の根拠に「たくさん駒を持っている方がいずれ詰ますだろうから」という理屈があるということを聞いたことがあるが、理屈としてまったく美しくない。
かつて佐藤康光九段が「将棋は神様が作ったゲームだと思っている」というこのゲームに一点傷があるとすれば、この点数法の存在だと思っている。
しかも、この点数法は、まったく将棋の本質とは乖離した、すなわち人為的に設定された取り決めに過ぎない、という所が、また、やるせなさを感じるのだ。