チャン・グンソク様情報 グンちゃん足跡・重箱赤坂うなぎ&靴下&赤坂のカフェ&刺繍絵&薔薇 | 追憶ー2

追憶ー2

ハリウッド映画「追憶」が大好きでそこから題名を!映画「追憶」が1ですので「追憶ー2」としました。
ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンドの永遠のラブロマンスの1973年のアメリカ映画です。

6月5日 水曜日 晴れ

 

こんばんは!

 

足跡の高いうなぎ屋へ行ってきました!

 

お部屋代が1万円!料理が1万円ってとこでしょうか?チュー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

華奢なる鰻屋です

 

創業は寛政年間(1790年)徳川家斉の頃と聞いております。
千住大橋(現南千住)の近くで蒲焼と鯉こくの一膳めし屋として、
多くの旦那衆に愛されました。
江戸から明治にかけては「名物 鯰のすっぽん煮」を
市中で大流行させたのが先祖の自慢の一つだそうです。
屋号は「鮒儀」。「重箱」の由来は店の近くに重箱稲荷が祀られ、
いつの頃からか贔屓筋は「重箱」と呼び、
「鮒儀」改め「重箱」に変えたのが大正時代。
その後、戦争により熱海と軽井沢へ疎開し、
昭和30年に赤坂に戻ってまいりました。
江戸の文化のひとつである鰻屋として、
日常とは違う空間で少しばかりの贅沢をお楽しみください。

 

八代目 店主

【 重箱の由来 】

久保田万太郎 「火事息子」 冒頭より抜粋

おれのところの先祖ってものは、相州厚木の在の造り酒屋の二男坊で、
名まえを儀平といったというんだが、それが、いつのまにか、儀兵衛
になった。……儀兵衛のほうが、一応もっともらしく聞こえるからだ
ろうナ。……それは、まァ、どッちでもいいとして、とにかく、この
人が、手のつけられない道楽もので、みごと家を勘当され、しょうこ
となしに、あてもなく江戸に来たものだ。……からだが大きく、それ
だけにまた力のあったことから、軽子になった。いまでいえば、小運送だ。
……よくは分からないが、おそらく、二十四か五のときだろうナ。……
いまをさる百何十年まえ、文化とか、文政とかいった時分のことだ……
が、軽子じゃァ、いくら身を粉にしたところで、稼ぎは知れてる。
さきの見込みだってない。そこで、千住にあった鮒屋新兵衛という
川魚問屋に住みこんだ。安全な主人もちになったッてわけだ。……ちゃんと

 

 

住所 〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目17番61号
 

電話 03-3583-1319 

 

 

 

 

 

 

 

カフェは足跡に非ず

 

 

 

 

 

 

 

 

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