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追憶ー2

ハリウッド映画「追憶」が大好きでそこから題名を!映画「追憶」が1ですので「追憶ー2」としました。
ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンドの永遠のラブロマンスの1973年のアメリカ映画です。

3月26日 火曜日 雨

 

こんばんは

 

 

 

 

あ~素敵ピンクハートラブラブ

 

 

 

 

 

 

[スターキャスト]済州島 チャン・グンソク、ZIKZINラジオ録音現場に行く

 

2014-03-23 ​​17:37 

 

チャン・グンソクの『ZIKZINラジオ』ご存知ですか?

『ZIKZINラジオ』はチャン・グンソクのアイディアで企画された

 

自主製作したポッドキャストのラジオ放送で国内俳優としては

 

初めて実施されているんですが。


ゲストなしで静かにわびしくリスナーたちとの交感だけなされている

 

という点でも意味が深く、すでに世界中のファンたちの熱い反応を

 

得ているコンテンツです。

これまで清潭洞にあるスタジオで『ZIKZINラジオ』を進めてきたチャン・ペウ。


今回は場所を移して、さらに特別なコンセプトで進行されたというんです。


どこへ行ったのか共について行ってみましょうか?

 

 

 

 

息苦しいスタジオを離れて、チャン・ペウが選択したここは済州島に

 

位置したOOホテルのキャンプゾーンです。


普段キャンプが好きなチャン・ペウが直接一つ一つ選んだキャンプ

 

道具はどうでしょう?


旅行の感じが充満します^^


この装備を探すためにキャンプフェアに参加しなければならなかった

 

従業員の労苦があっただけに、今回の録音はさらに特別に始まったそうです

 


 

 

 

 

 

 

 

 

今回の『ZIKZINラジオ』のテーマは『旅行』でした。


いつものようにファンたちのエピソードとチャン・ベウの率直な

 

話しぶりで時間が経つのも忘れる程のトークが繰り広げられましたが。


今回の12部放送ではチャン・ベウの旅行に関連したエピソードを

 

幅広く知ることが出来る時間だったのでさらに一層意味が深かったです。


この日現場には中国語ができる通訳スタッフはもちろん日本人スタッフまで

 

一緒にして、世界のファンたちを率いたチャン・ペウとファンたちの

 

コミュニケーションをさらに円滑に引っ張っていくことができましたが。

ここにチャン・ベウの学生時代から最近までのエピソードまで本当に

 

フィルターなく聞くことができましたよ。


SNSを通じたファンたちとの即席交流もてきぱき進めるチャン・ベウの姿に、

 

彼のよどみない推進力とDJ能力をもう一度確認してみることができた

 

大きな部分ではないかと思います。^^

 


 

今回の『ZIKZINラジオ』には特別なお客さんが来られていました。


チャン・ペウが昔、済州島に行った時に知り合った焼肉店社長夫妻なのですが。


チャン・ベウの口を完璧に捕らえた後で頻繁に訪れることになり、

 

親しくなった縁だそうです。


このお二人はチャン・ベウのファンになって、ソウルにあるオフィスにも

 

たびたび済州島の特産物を送って下さったりして下さったそうです。


済州島で作られた特別な縁でしょう^^

 

 

 

 

 

 

 

 

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スペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリア聖堂が、

 

着工から140年あまりを経て2026年、ついに完成する。

 

6つの塔のうち最後の塔の建設が完了すれば、サグラダ・ファミリア聖堂は

 

完成を迎える。 サグラダ・ファミリアは23年の年次報告書発表の声明で、

 

「聖母被昇天の礼拝堂は25年に、イエス・キリストの塔は26年に

 

完成が見込まれる」と発表した。 26年に完成予定のイエス・キリストの塔

 

(高さ172.5メートル)は、最後に高さ17メートルの十字架を設置する。 

 

サグラダ・ファミリア聖堂が完成すれば、ドイツのウルム大聖堂を抜いて

 

世界一高い教会となる。 カタルーニャの建築家アントニ・ガウディが設計した

 

サグラダ・ファミリア聖堂の建設は1882年に始まった。

 

聖堂は、それぞれ聖書の登場人物(12使徒と4人の福音書作家、聖母マリア、イエス)

 

を象徴する18の巨大な尖塔で構成される。

 

 ガウディが1926年に死去した時点で建設はまだ10~15%しか進んでいなかった。