チャン・グンソク様情報 恋の病&Korepo記事&CriJ当選者発表&うなぎさん&アンネの薔薇他 | 追憶ー2

追憶ー2

ハリウッド映画「追憶」が大好きでそこから題名を!映画「追憶」が1ですので「追憶ー2」としました。
ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンドの永遠のラブロマンスの1973年のアメリカ映画です。

8月15日 木曜日 雨

 

暴風雨の中ドキドキしながら運転して帰宅。

 

疲れ半端無いです!

 

フルタイムで仕事して、山垣の焼肉。

 

片付けて。。。

 

爆睡(=-ω-)zzZZ乙乙

 

この侭UPします。

 

星

 

 

花言葉:恋の病

 

 

うなぎさんは王子に恋の病

 

言わずもがな!!

 

王子はうなぎに・・・微妙!( ´艸`)ムププ

 

追憶さ~~ん!

 

そんな事無いよ~~

 

会えなくて辛いのは俺の方かも!

 

ほんま?

 

どなたかとバカンスじゃねえ~の?

 

ちゃうで~~!

 

信じる!

 

コマウオヨ~~

 

残り288日!

 

 

このお姿を忘れない。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。

 

 

 

皆様ご一緒にZIKZIN!!

 

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2019.08.15

 

「コラム」たとえ兵役で不在でもファンの心にチャン・グンソクの言葉が甦る!

 

チャン・グンソクは2018年7月に兵役に入り、社会服務要員として勤務を

 

続けている。芸能界に不在で寂しいのは確かだが、そんな日々の中でも、

 

かつての彼の言葉を思い出すと、なぜか心がときめいてくる。 

 

完璧なエンターティナー 

 

あれは、2010年11月27日にパシフィコ横浜で開かれたジャパンツアーの

 

ときだった。チャン・グンソクはドラマ『メリは外泊中』で特に印象に残っている

 

エピソードについて語った。 

 

「キャラクターの設定上、酒に酔っているというシーンがとても多かったのですが、

 

実際にお酒を飲んでから撮影に臨むこともありましたね。

 

それから、僕は寒いのが苦手なのに、韓国はとても寒いんですよ。

 

撮影のときにからだ中に携帯カイロを貼って撮影に臨みましたが、貼っていることを

 

忘れてそのまま帰って寝てしまい、ヤケドしそうになったこともあります」 

 

この話を聞いたときは、全身にカイロを貼ったチャン・グンソクを想像して

 

笑ってしまった。 2011年11月25日、都内で記者会見を開いたときに

 

チャン・グンソクは、「今まで『アジアのプリンス』とか『ワールドプリンス』とか

 

自分のニックネームを自分で言っていました」と語り始めた。

 

「それは僕自身が本物のプリンスということではなく、『プリンスに絶対なるぞ!』

 

というメッセージを込めていたんです。今でも、自分が『アジアのプリンス』

 

『ワールドプリンス』になりたいと思っています。

 

次の目標は、俳優としてハリウッドや中国などいろんな国の映画に出て、

 

韓国人の演技とかアジア人のコンテンツパワーとかを見せてあげたいですね。

 

韓国や日本だけじゃなく、世界のいろいろなステージでみなさんのために

 

歌って演技ができる完璧なエンターティナーになるのが夢です」 このときは、

 

話のスケールが本当に大きかった。

 

「僕の夢を助けてくれた」 

 

2011年11月26日、チャン・グンソクは東京ドームで公演を行ない、

 

その中でこう述べた。 「最近注目されるようになって誤解されることも

 

多いですね。ずっと愛されるためには、言いたいことを少し我慢しなければ

 

ならないのかな、と。だけど、僕はチャン・グンソクですから、誰が何と言おうと

 

自由人のままで言いたいことを言って、これまでやってきた通りにやります。

 

真心は通じると信じているから。ここには、僕の心をわかってくれる人たちが

 

こんなにいるんだから……」 その2日後、やはり東京ドーム公演で

 

チャン・グンソクは、2008年に開催した日本で初めてのファンミーティングに

 

ついて語った。 「あのとき、2000席で満席にならなくて1500人と遊びました。

 

そのときもずっと考えていました。チャンスがあったら、絶対に東京ドームで

 

公演したい、と。ここで公演することが夢でした。

 

それが今日は夢ではなく、本物になっちゃった。

 

もちろん、今までの時間があって今日があります。

 

日本で初めて『美男<イケメン>ですね』が放送され、そのときからアジアで

 

“ちょっと、ちょっと、ちょっと”だけ人気が上がり、東京と大阪で公演をしたときは

 

満席になりました。すごくうれしかったです。今でも、まだ夢みたいです。

 

僕の夢を助けてくれて、本当にありがとうございます」 ファンへの感謝を

 

口にしたチャン・グンソク。念願の東京ドーム公演を成功させて

 

感無量だったことだろう。

 

そのイメージが甦る 

 

チャン・グンソクは、2012年11月下旬には、さいたまスーパーアリーナで

 

3日間にわたってアジアツアーを行なっている。 トークタイムではこう語った。 

 

「1年前に『人気はバブルみたいだと思います』と言っていました。

 

自分の人気より、自分がやりたいことを探していたほうが、完全に

 

チャン・グンソクみたいな人間だと思います。前のバレンタインデーのときに、

 

ウナギたちと一緒にパーティをしたことがあったんです。

 

そのときから時間が流れて、おじいちゃんやおばあちゃんになっても

 

バレンタインデーにチョコレートや飴をあげて関係を作りたいんだけど、

 

できるかな?」 ファンはもちろん「できる」と大きな声で答えていた。 

 

このように、チャン・グンソクの発言は自由奔放だった。

 

彼はありのままの自分であろうとしたし、それがパワーとなってファンを引きつけた。

 

今は兵役に入っていて、どんなに願っても、ファンの前に姿を現すことはできない。

 

しかし、今までの彼の言動を思い出せば、チャン・グンソクのイメージはいつでも

 

思う人の心の中に甦ってくれるのだ。 戻ってきてくれるのを待つには辛抱が

 

要るが、あとで振り返ったとき、「待っているときも幸せだった」と

 

思える日が来るに違いない。

 

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FAN NOTICE | Jang Keun suk 

 

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朝鮮王朝の「悲劇の五大王妃」とは誰か

 

 

518年間も続いた朝鮮王朝には42人の王妃がいた。

 

その中で「悲劇の五大王妃」と呼ばれたのは、顕徳(ヒョンドク)王后、

 

端敬(タンギョン)王后、仁穆(インモク)王后、仁顕(イニョン)王后、

 

明成(ミョンソン)皇后の5人だ。

 

◆端敬(タンギョン)王后 〔1487~1557年〕 11代王・中宗(チュンジョン)の

 

最初の正室。燕山君(ヨンサングン)を追放するクーデターが成功して

 

異母弟の中宗が王に上がるとき、不安にかられた夫を精神的に支えた。

 

しかし、叔母が燕山君の正妻であったことが問題となり、王妃になって

 

わずか1週間で廃妃となってしまった。

 

『七日の王妃』の重要な登場人物は3人だ。

 

10代王の燕山君(ヨンサングン)と、異母弟の晋城大君(チンソンデグン/

 

後の中宗〔チュンジョン〕)。そして、端敬(タンギョン)王后だ。

 

ドラマの中では異母兄弟の間で激しく揺れる端敬王后だが、実際には

 

どういう女性だったのだろうか。

 

悲劇の2人 

 

◆仁顕(イニョン)王后 〔1667~1701年〕 19代王・粛宗(スクチョン)の正妻。

 

粛宗が張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛したために、彼女には何の落ち度も

 

ないのに1689年に廃妃となってしまった。しかし、1694年に復位。

 

病弱で子供を産むことができず、1701年に34歳で亡くなった。

 

時代劇『トンイ』では慈愛に満ちた王妃として描かれている。

 

 

「七日の王妃」「トンイ」「テバク」も同じ時代ですね。

 

時代劇は好きなジャンルです!