皆さんこんにちは。すももです。

 

 

すっかり間が空いてしまいました。

 

 

こちらの記事は過去のことを思い起こして書いているのですが、現在進行形で実母とゴタゴタがあり、すっかり神経を削がれていました。

 

 

家を出てもなお、というか嫁に行ったからこそ、今度は子供(実母にとっては孫)のイベントで関わらざるを得ない。

 

 

いちいちストレスがたまります。

 

 

ようやく更新する気になれたので、書いていこうと思います。

 

前回までの記事はこちら

すももの生い立ち①

すももの生い立ち②

エホバの証人の集会に連れて行かれたすもも達①

エホバの証人の集会に連れて行かれたすもも達②

エホバの証人という宗教

母、家を追い出される①

母、家を追い出される②

3人分の銀行口座をせしめた父

祖母の弟贔屓 すももへの嫌味

母の言い訳

すももの家出

 

 

中学卒業式の日に、働かない父と嫌味な祖母と祖母に可愛がられている弟が住む家から家出を決行したすもも。

 

 

母と、母方の祖父が住む家に転がり込みました。

 

 

父はもちろんすももを探し、おおかた母のとこにいると予想をつけていました。まぁ、想定内です。

 

 

父は確か迎えにきたと思うのですが、私の意思が固いことから、しばらくは母のもとで暮らすということで納得して(?)、あきらめて(?)帰って行きました。

 

 

そして母と祖父との3人暮らしが始まったのですが、曲者の祖父との関係は大変でした。

 

 

祖父は、よく言えば実業家ですが、事業の成功と失敗を繰り返し、その都度収入に見合ったマンションに移り住むちょっと変わった人です(2019年現在も生きています)。

 

 

事業がうまく行っている時には、高そうな、広くて新しい綺麗なマンションに住み、あまりうまく行っていない時には、地味めなマンションに住んでいました。

 

 

今思えば、地味めなマンションでも十分綺麗で、そこに住みながらお金貯めた方がいいと思いますが…、祖父と祖母はその都度引越ししていました。

 

 

ただ、駅近の最上階というのは譲れない条件だったようで、常に眺めの良い、1番上の部屋に住んでいました。

 

 

あるお金は全て事業に注ぎ込んでしまうので、母はよく文句言っていましたね。

 

 

まぁそんな祖父なので、考え方も一般人にはちょっと理解不能なことが多かったです。

 

 

今でも記憶があるのが、当時幼稚園年長か小学校1〜2年生の頃のすももに、ナポレオンの詩を暗記させては何度も文に書かせていました。

 

 

食事を食べに行けば、この中で1番高価なお皿はどれかと問われ(料理ではないです、料理が乗ってる皿そのもの)、適当に答えて違えばとても残念な表情で、あらゆるうんちくを語り始めます。

 

 

すももの服を買ってあげると、買物に行けば、祖父が気に入るまで何十着と試着させられ、気に入る物がなければ何も買ってもらえません。

 

 

試着だけで疲れたし、お店の人の顔も気になったし、祖父と買物に行くのは嫌いでした。

 

 

そんな様子を、母は当たり前のように眺めていたので、母もそのような教育環境だったのだなと思います。

 

 

あまりに訳のわからない持論ばかりを持ち出す祖父に、思春期のすももが反抗心を持つまで、さほど時間はかかりませんでした。

 

 

家の中ではなるべく顔を合わせないようにしたし、口もきかなくなりました。

 

 

居候のくせに、と思うかもしれませんが、私の居場所はどこだったんでしょう。

 

 

施設とかに行けばよかったのかな。受け入れてもらえるのかわかりませんが…。

 

 

そして生意気な態度をとり続けるすももは、もう家に置いておけないと、祖父が父に連絡しました。

 

 

次回へ続く