「カルーゾ」(歌:村上リサ)
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カルーゾを歌う村上リサ

※喉頭癌に倒れた伝説のオペラ歌手、カルーソーの晩年をテーマをにしたカンツォーネ!恋人(娘)へ別れと、諦観を歌い上げるルチオ・ダッラの名曲!

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  昼下がりのシャンソン

     日時 4月25日(土)開場14:00 開演14:30 
     会場 シャンパーニュ 新宿厚生年金会館跡地前 
                                      (スギ薬局地下)
     料金 3,500円 



  月曜シャンソンコンサート(青い部屋)
  
    日時 5月11日(月)開場18:00 開演18:30 
    会場 サラヴァ東京 松濤郵便局交差点角
                                                     (ファミリート地下)
    料金 3,500円 (ドリンク代別途)
 

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みなさま、おはようございます。村上リサです。

今日はちょと、歌を超えて「表現」のことを考えてみましょう!

 

最近は、私が子どもの頃と比べると、確かに技術は進歩し、便利になりました。

 

子どもの頃には、インターネットも携帯電話もなかったし、これほど頻繁にお休みもなかったように思います。

 

また、情報やゲームなども、今ほど簡単に手には入らなかったように思います。

 

アニメも大好きでよく見ていたのですが、印象なワンシーンを、今でもはっきりと覚えています。

 

 

それは、子ども同士がトラブルになり、意地悪をした子どもの親が、自分の息子をかばいます。

 

これは、子どもがその親にウソをついたためで、これには相手側の子どもも、相手側の親も驚いてしまい、納得がいかない様子。

 

しかし最後は、ウソがばれて、ウソをついた子どもは彼の親から厳しく叱られ、真相を誤解していた親も、相手方の親子に、「私が息子のウソを見抜けなくて本当に申し訳ありません!」と誠意をもって謝罪して一件落着。

 

そして、ウソをついた子どもも、アニメを観ているテレビの前の子どもたちも、「ウソをつくことは卑怯だし、いけないことだ!!みんなに迷惑をかける行為なのだ!」と強く心に印象付けられなっとくしたものです。

 

今考えてみると、そうしたアニメが人間関係の基本を、子どもたちに教えてくれたり、一緒に見ている親にも再確認させてくれる、「道徳の授業」のような役割を果たしていたようにも思われます。

 

「仮面ライダー」や「ウルトラマン」のシリーズは昔からあり、悪の組織に敢然と挑むヒーローのカッコよさも、甘えていた男の子が母親離れをするのにも、一役買っていたようにも思われます。

 

 

ただ、いつの頃からか、私は観ていなかったので詳しくは分かりませんが、戦いの中で、残虐なシーンがあって、「子どもには(特に小さい子)にはよくないな!」と思われるようなアニメも確かにあったように思われます。

 

これは、あくまでも私個人の主観に過ぎないことは、改めて言うまでもありませんが!

 

その後、ホラー映画(これは以前からありました)や戦闘ゲームなどでも残虐なシーンが出てきて、人の体が見るも無残な状態になったりするシーンがああったりして、後になって未成年者には使用不可となったものもあったように思われます。

 

ここまでは事実として、それについてどう考えるかは、人によって違うし、どう思うかは個人の自由なのでしょうが、面白さを追求していくと、架空の世界ではあっても、それぞれに人間に「一つしかない命」を、簡単に奪い、自分も数回「や(殺)られる」とゲームオーバー。

 

そういうゲームを、「死ね!死ね!」と言いながら夢中でやっている人を見て、怖くなったことがあります。

 

方や、人の弱い心にスポットを当て、正しい道を厳しくも温かく説くもの!

 

方や、興味本位に仮想の世界で無残な殺人を繰り返すもの!

 

もちろん、これは極端な例ですし、「昔はよかった!今は子どもを取り巻く環境が命を軽視している!」と簡単に結論付けるのは、表現の自由という立場からも危険な見方かもしれません。

 

 

ただ、気を付けなくてはならないのは、その自由な中で、私が子どものころ接してきたアニメ等は、「売れさえすれば手段を選ばない!」というものではなく、作者の子どもへの深い愛情や厳しさ、温かさを教えてくれていたように思います。

 

何よりも、「善悪の基準」を日々の娯楽の中から教えてくれた。

 

それが、いつも間にか、それが受け継がれていく中で、時には興味本位に人の命を粗末にしたり、「善悪」よりも「損得」で動く傾向も見受けられたりはしないだろうか?

 

「そんなことを言っているから、つまらない!!みんな、もっと激しい刺激やショッキングなシーンを求めている!」という声が聞こえてきそうです!

 

確かに、「平穏無事が続けば、刺激が少なくてスリルもサスペンスもないから売れない!」というのは正しい。

 

第一、表現は自由だし、何も法には触れていない。

 

でもそこで、私たちが気を付けなければいけないのは、「善悪」より「損得」のことしか考えないで作品を生み出していくこと。

 

そして、それらの作品を表現していくこと。

 

確かに、作り手が作品を通して受け手にどんなメッセージを伝えたいのかを、「愛情や善悪の判断をしっかり持って」生み出していかなければならないと思うのです。

 

売れることだけを第一に考えると、それは「損得勘定」だけで、「何でもあり」になってしまう。

 

でも、売れなければ、作り手、演じ手、歌い手は生きてはいけない。

 

自由という幅の中で、どのようにスタンスを決めて表現していけばよいのか・・・?

 

やはり、根底に、「人に対する熱い思い」がなければ本物じゃないんですよね・・・!

 

本日も最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。

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