今年、太陽が一番長く、
空に居た日。
6月21日。

「人はね、陽の当たる場所に居た方が良いんだよ。」と言った先人。

それを聞いたときは、まだ、
肌で感じることがなかった。

そして、歳を得て、
もう、倍を生きられないと、
漠然とわかったとき。

「陽の当たる」
若しくは、
「陽の当たった」
姿を探した。

私が?いつ?どこで?なにで?なにを?そして、どのようにして?

反面には、

探してどうなる?
探そうよ!
が交差する。交錯する。

この頭の、心のゲームを繰り返すことは、私にとってプラスかマイナスか。

刻々と流れる時のなかで、
そんな刹那は入らない。

母親を送り、
変わった兄を知り、
温かく見守る叔母を迎え、
新しいことにチャレンジし始め、
足を傷め、ストレスとなる。
けれど、一日のルーティーンをこなし、いつものように寝床に入る。

いつしか、この日常をこなせなくなる日が来る。それに対処できるチャージは必要だ。
それは、今までの経験値か?

地震。
その積み重ねた成果を問うてみた。
確かに目的地には着けなかった。
しかし、たまたま乗り合わせた電車のホームが一両目にかかっていた。よって、電車から降車できた。
友人、親戚からの安否確認のメールが入る。有り難い。
「大丈夫!駅に居るんです。」
メール、電話でのやり取りで、四時間半の下車駅での時間が費やされた。
業を煮やした45年来の友人が、遠くから車を走らせてくれた。こちらの有無を言う時間はなかった。
スマートな対応、心優しい行動は、知らずに疲弊した私を助けてくれていた。
いつもは素っ気なく、冷たくも辛辣にも感じる言動でも、本当の私を見抜いての今回だった。45年の積み重ね。
有難う。忘れない。

陽を当ててくれた人に感謝する。

閑話休題。

自然災害。誰もが経験しない事。
テレビの専門家達は
「あぁすれば良かった」
「こうすべきだった」
と御託を並べる。
そんなもん、後になって言える事。
危機管理は自身よりも、公が、客の、または被災者が出たときのシミュレーションをしておかなければならないこと。
責任を個人にお仕着せるのはお門違いも甚だしい。区役所、市役所、勿論、鉄道会社が積極的に動かなかった(動いていない)現実に怒って良い。普通の感覚だ。
鉄道会社はバスを用意出来なかったのか?
足腰の悪い人達に線路を歩かせたのか?
仕事へ急ぐ、講義に向かう、授業を受ける、病院へ行く人たち・・・。
まさか、目的もなく電車に乗っている人はいない。

駅の階段で紙袋を敷いて、
電車がいつ動くかわからない不安。
駅にいる人達は静かだ。
誰も口を開けない。

不安は怒りに変わらないのか?

駅員の「私も今日は早く帰りたいんですよね。」あんたが言う言葉じゃないでしょ?

「んじゃ、また、遊ぼ!」って、余りにさりげない言葉で、何事もなかったように、私を自宅前に下ろし、娘さんの所へ行った友達。背中に最敬礼した。

私の6.18。

電車に乗っていて、揺れを感じられなかったこと。
乗った電車が一両目が駅に着いていて、線路を歩くことがなかったこと。
騒ぎが起こらなかったこと。
多くの安否確認を戴いたこと。
拙宅の被害は殆どなかったこと。
目的地はいつも通り楽しい時間が流れていったようだ。
案じた友人も人災には至らなかった。
家人は社内にいた。もし、車中なら?

天災不可抗力。

その中で、最少の負。

自身の「ラッキー」を陽の当たる場所と言ってしまうには、大きすぎる災害。止めることはできない。
いつ?どこで?

やっと、6.18を振り返ることができた夏至の日。
西の空は19時でもサーモンピンクが美しかった。


まだまだ、昇華出来ていない自分の愚かさが浮き上がる。