①では地元開催の東京五輪での活性化を目指しているバスケ日本代表が、FIBA(国際バスケ連盟)から出された自国開催枠の条件としてのW杯ベスト16に入るのにもがいていることを述べた。

それを筆者は20年前の長野五輪でのアイスホッケー日本代表に似ていると指摘した。

では、その指摘の内容とは何か?という話をしていきたい。

若い読者の中には長野五輪の頃には、物心がついていなくて知らないという人もいるだろう。

この時の長野五輪では、ジャンプ団体で悪天候での日の丸飛行隊の金メダルなど感動的な記憶があったのを筆者は覚えている。

しかし、この五輪でひっそりと姿を消したスポーツもあった。それがアイスホッケーである。

それまでのスケート競技というのはフィギュアよりもNHLのドミニク・ハシェックやウェイン・グレツキーの影響でむしろアイスホッケーの方が人気があった。

日本アイスホッケー協会も長野五輪を足掛かりに国内の活性化を目論んだ。

ところが、この長野五輪でアイスホッケー日本代表は東欧や北米の強豪国に惨敗。ステップアップどころか奈落の底に真っ逆様となった。

その後、日本アイスホッケー界の庇護をしていた西武の堤義明が2004年にインサイダー取引で失脚。

日本リーグは国内だけではリーグ運営できずにアジアリーグでチームを賄うという窮余の策に出た。

一方でフィギュアスケートでは荒川静香が2006年のトリノ五輪で金メダル。

これを境に国内のスケート競技のパワーバランスは完全に逆転し、フィギュアはアイスホッケーの立場をアッサリぶっちぎった。

こうして強化策を見出せず、惰性に任せたアイスホッケーの影響力は失墜した。

こうしたアイスホッケー界の失墜と被って見えるのが、東京五輪における今の日本バスケ界である。

バスケも2016年のBリーグ発足時は盛り上がったのは確かだ。

しかし、翌シーズンにBリーグのテレビ中継はなし。日本代表の中継も深夜録画放映だ。

バスケの日本代表もW杯に参加できずに、東京五輪の開催国枠を逃して、そのままズルズルと後退したら、前述の長野五輪でのアイスホッケー日本代表と同じ轍を踏むように見えてならない。

バスケ界がアイスホッケー界のような低迷に陥らないことわ願うばかりである。