①では2015年に観戦したサッカーでの審判の判定基準の曖昧さから、負けた側のサポーターが「クッソ審判っ!」と主審を大声で口汚く罵倒するシーンに遭遇した。

②ではそれについてもう少し深く言及していきたい。

申し訳ないがここで話が飛ぶ。筆者は昨年(2017年)夏に社会人サッカーのトークショーを観に行った。

そこでアラフォーの社会人サッカー選手がプレーと併行して、サッカー審判の勉強を始めたと語った。その時彼は印象的な言葉を残した。

「サッカーの審判を始める前は家本のことを呼び捨てにしていた」

「しかし審判の勉強を始めて、実際に主審をやるようになったら『家本さん』『家本主審』と呼ぶようになった」

「サッカー審判の勉強を始めたら、Jリーグの審判の凄さを身をもって理解した」

このブログの読者でご存知ない方のために補足説明をすると、この時に出た「家本」という審判は本名・家本政明と言う。

Jリーグの審判でも他の仕事を持ちながら活動するのではない。審判という活動が主たる収入のいわゆる「プロフェッショナルレフェリー」だ。

余談だが審判もプロになるとトップレベルでは2000〜3000万円の収入がある。

2010年5月24日のサッカーの聖地・ウェンブリー・スタジアムでイングランドvsメキシコとのA代表の試合で主審としての笛を吹く。

家本は国際的には評価の高い日本人審判であるにもかかわらず、Jリーグなどの国内の試合では一貫性がないジャッジや「死ね」発言などで物議を醸した。

そのため彼自身、Jサポには嫌われていることで有名なサッカー審判である。

それ故に、前述の社会人サッカー選手も審判の勉強の前はこの審判のことを呼び捨てにしていたが、審判の勉強を通じて、この立場の大変さが骨身にしみたと語ったのだ。

①の話に翻ってJ2の試合を裁いた榎本一慶主審に対しての話である。このことについて、以前語ったことも含めて色々思うところがある。

1.サポは自身がサッカー審判の勉強ができなかったり、その裁いている審判の代わりができない以上、審判のジャッジに不服があっても受け入れなければならない。

2.しかし矛盾するが、そうは言っても審判のジャッジに不満があれば、審判に対しても彼らを育てるという意味で、失敗にある程度批判の意思表示も持つ必要も同時にある。

3.問題はタダのブーイングだと、負けた選手に対してのモノと誤解されてしまう。

その上で「クッソ審判っ!」とは違った形で審判に対する意思表示が必要だ。

(こうした罵倒のような意思表示だと一見さんにサッカーが野蛮なイメージを取られてリピーターにならず、サッカーファン全体に悪影響が出て損になるから)

正直に言って、上記の1〜3についての最適な解は筆者の頭には浮かび上がってこない。

しかし、疑問を持ちながら人生を過ごすのは苦しいが、サッカーを愛する立場にいる以上、いつかこの問いに対する答えを出したい。それはサッカー審判という立場と同じくらい厳しい問いである。