以前、筆者はこのブログで観戦経験からオリジナルなサッカー審判に対する価値観を表現してきたわけである。

しかし、正直サッカー審判論について書き足りないので、もう少し執筆することにした。

要はこれからの2日間のブログは以前執筆したサッカー審判論の続編という形になる。それではこれから紹介していく。

少し前の話になるが、2015年5月3日のホーム・千葉市フクアリでのジェフ千葉vs横浜FC戦で筆者はサッカー観戦をした。

そうした中でのGWのジェフ戦。結果から言えば、ジェフの途中交代の策もハマって3-0で横浜FCを撃破した。

ただもちろん今回のテーマはそんな過去の試合結果ではなく、サッカー審判論である。

この試合は横浜FCの2人の退場処分(2人とも2枚のイエローカード)を受けて、向こうから見れば数的不利な状況でのプレーを強いられた。

ただ筆者自身はその時は気付かなかったが、この日の主審を務めた榎本一慶主審のカード提示の基準が曖昧だった。

そして、この試合終了後にある意味ゴールシーンよりも衝撃的な場面に筆者は遭遇した。

アウエーゴール裏の横浜FCのサポーター集団が榎本一慶主審に対して「クッソ(糞)審判っ!クッソ審判っ!」と主審を大声で罵倒するコールを始めた。

隣にいたジェフサポも「今日の主審の笛やカードは基準が曖昧だったから、相手には気の毒だった」と呟(つぶや)いた。

プロ野球やバスケットでもそうだが、審判のジャッジの基準が曖昧だと選手たちはプレーに迷いが生じて、本来の持ち味を出せなくなる。

しかし一方で、スポーツの試合というのは一つ一つのプレーに全く同じ動作というのは存在せず、全て違う動きになるという完全にアナログな世界だ。

そうしたそんなアナログで人間的な動きに対して、機械のような精密さのあるデジタル的な対応と基準を審判には求められる。

よくよく考えてみればサッカーに限らず、審判というのは大変な立場だ。

そうした中でのサッカー審判論。このテーマについての続きは②へと繋がる。